思い出したくない過去のこと

中学1年生の冬。私は突然、人と接することが怖くなった。

理由は今でも分からない。肌荒れを気にし始めたこととか、部活の先輩が怖いとか、そんな小さな悩みが積もり積もった結果だったのかもしれない。決定的なできごとはなかったから、対処のしようもなかった。

この人は私のことを嫌っているのかもしれない、もしかしたらクラスから浮いているのかもしれない…
「もしかしたら」が次々と頭に浮かんできて、そしてそれはほんの些細なことで確信に変わった。相手の態度が前より少しそっけないとか、今考えるとただの「気のせい」でしかなかったこと。「気のせい」と「もしかしたら」の無限ループが私の自信をなくしていく。そして、そんな様子を見たクラスメイトは少しずつ私から遠ざかっていく。

以前の私は誰とでも割とうまくやっていけるタイプだった。当時は陽キャとか陰キャとかいう言葉はなかったけど、もしかしたら「陽キャ」寄りだったかもしれない。
クラスのうるさい男子に躊躇なく注意できたし、授業中も同じ班の子たちと小声でおしゃべりしてたし、給食で大笑いして牛乳を吹き出しそうになったこともある。ていうかちょっと鼻から出た。さすがに恥ずかしくて言えなかったけど。
恋愛も、幼いなりにそこそこしていた。彼氏こそできないものの、前の席の男子はあからさまに私に気があったし、違うクラスに彼女がいる子と隣の席になって毎日話してたら彼女から目をつけられた。これはあんまり良くない思い出。でも人から嫌われるのが死ぬほど怖い今の私からすると、妬まれるくらい周りを気にせず人と関われるって最高に幸せなことだ。


話を戻そう。

学年が上がっても、失った自信は戻らなかった。それどころかますます人が怖くなっていく。クラス替えで心機一転がんばろうとしたけど、相手の目が見れない。距離の取り方がわからない。
挙動不審なクラスメイトを好きになるやつなんてほぼいない。結果、中2から中3にかけて、私はクラスで浮いてしまった。去年のクラスメイトも私の変わりように戸惑ったみたいで、あまり話しかけて来なくなった。唯一話せるのは部活の友達だったけど、彼女たちも私の情けなさに内心引いていたと思う。

そしてついに恐れていたことが起こってしまう。中3の春、クラスのリーダー的男子の隣の席になってしまった。今でもこいつのことは大嫌いで、思い出しただけで吐き気がする。とにかく声がでかい野球部で、暗い私に何回もちょっかいをかけてきた。周りは「やめなよー」「言い返していいんだからね」とか言ってくるけど、絶対面白がってた。毎日毎日地獄だった。


そんな生き地獄にいた私の癒しは、家に帰って見るアイドルの姿だった。教室で縮こまっている私の体を、アイドルはいとも簡単にほぐしてくれた。夜寝る前にアイドルの歌を聴いて、布団の中で泣いた夜だって少なくない。冗談じゃなく生きる希望だった。

「この人たちは東京にいる。そうだ、私も東京に行こう」

JR東海みたいなことを日記に書いたのは中2の正月。家の窓から閉塞的な田舎の景色を眺めて、そう思った。
毎日毎日重たい足取りで家に帰る。学校から家までは徒歩で10分ほど。その道のりが死ぬほど苦痛だった。近所の同級生があちこちにいるから。私は、彼らと鉢合わせないように家に帰ることに命を懸けていた。私が前を歩いているときはいいが、後ろにいるときは最悪。ゆっくり歩くのにも限度がある。靴紐を直したり、かばんの中を漁ったり、とにかく時間を稼いで彼らが見えなくなるのを待つ。本当に苦痛だった。
そこらへんの物陰に隠れればいいじゃないか、と思う人もいるかもしれない。愚問である。この田舎に物陰なんてない。あるのは田んぼと畑と民家だけだ。みんな私有地だから、そこに入ってコソコソと動いていたらただの不審者だ。

ここにいたら息が詰まる。東京に行きたい。学校と家の中間地点にある線路の前に立って、毎日東京の方角を眺めた。あそこに行けるのはいつになるだろう、もう逃げたい、辛い、苦しい。

(高校生になって知ったことだが、この線路は東京に繋がっていなかった。とんだ笑い話である)


東京に行けるのは現実的に大学生から。できるだけ良い学校に行こう。うちはそんなに裕福じゃないからなるべく国公立。そのためには地元で1番の進学校に行かなければいけない。
将来のプランを立てた私はすぐ実行に移した。とにかく必死で勉強した。田舎の公立中学では勉強してるとバカにされたけど、「いつかこいつらをあっと言わせてやる」って思いながらシャーペンを握った。いい高校に入って、東京の名門大学に入って、東京でバリバリ働けば、こいつらより上に行ける。

いつしか私の目標は「こいつらより幸せになってやる」ことにすり替わっていった。

今思うと、この目標が良くも悪くも私をこれまで生かしてきたんだなと感じる。良く言えば向上心がある、悪く言えば他人軸。
恨みも入ったこの想いは、高校卒業までは私の原動力だった。見事志望校に合格して、高校でも必死に勉強した。人間関係は中学の頃よりはだいぶマシになって、クラスで浮くことはなかったけど、自信はやっぱりなかった。



運命の大学の合格発表の日。
起き抜けのぼやっとした目をこすってスマホを開き、志望校のサイトにアクセス。

私の番号があった。

飛び起きて家族に報告した。その瞬間、私の努力は報われた、少しだけどあいつらを見返せた、そう思った。




現在私は東京で暮らしている。にっくきウイルスのせいで思わぬ足止めをくらってるけど、正真正銘の東京の大学生だ。

線路で東京に恋焦がれていたあの日から約5年。
当時はあいつらが悪、私が正義みたいに思っていたけど、本当にそれが正しいのだろうか。正誤判定なんてできないけど、私にも悪い面はあった。見るからに暗いオーラを放つ人となんて誰だって一緒にいたくない。
それに、東京のそこそこ良い大学に進学したからって、そうじゃない人の上に行ったなんて言えない。幸せの基準は人それぞれだ。SNSで中学時代のクラスメイトのアカウントを検索すると(歪んでる…)地元に残って高卒で働いてる人が多いけど、彼らにとってはそれが幸せなのかもしれない。もちろん私のことをバカにしたやつは全員不幸になればいいと思ってるけど。これくらい言ったって許されるはず。


ひとつだけ言えるのは、あの頃の自分を客観的に振り返ることができるくらい成長したってことだ。正直思い出したくもない過去だし、あの目標なんて死ぬほど歪んでいた。もう二度とあんな目標立てないと心に決めている。

そして不思議なことに、離れて暮らして初めて地元のことを恋しく思うのだ。あの帰り道をもう一度歩いてみてもいいとすら思う。
決して同級生のことが懐かしくなったんじゃない、会いたくもない。当時の私に会いたいのだ。俯いて歪んだプライドもって震えてた自分に一言言いたい。




「あんた、今からでも遅くないから、クラスでちょっとでも優しくしてくれる人に話しかけてみな。」







…今の私は別の意味で歪んでいる。Twitterのいいねがほしいし、友達とリア充ストーリー撮りたいし、できればモテたいし、死ぬほど恋愛がしたい。あの頃よりはある意味健全だし、きっと誰もがもつ悩み。だけどけっこう深刻だ。

中高時代に青春できなかった人間の歪みは果てしない。私はこれから少なくとも4年間、東京でまた黒歴史を作る気がする。失った6年分のときめきや煌めきを必死に追いかけて空回りするだろう。

想像するだけで怖いけど、同時に楽しみでもある。もし黒歴史を作っても笑い話にできる人になりたい。そしていつか、あの頃のことを笑いながら誰かに話したい。


だからコロナ、まじで早く収まってね。大学でも青春できなかったら私、たぶん一生歪んだままだから。


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