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軽井沢安東美術館 設計クロニクル 4:初めての敷地訪問

明けましておめでとうございます。
一級建築士事務所・株式会社ディーディーティーの武富です。
今年は年明け早々、能登半島地震をはじめショッキングな出来事が多く、心を痛めております。被災された多くの方々へ、心よりお悔やみとお見舞い申し上げます。

今回の記事は軽井沢安東美術館の設計プロセスを綴るnoteマガジン「軽井沢安東美術館 設計クロニクル」の4本目、ちょうど5年前の元旦に敷地を見に行った話です。
過去の記事一覧は下のリンクをご覧ください。

初めての敷地訪問

2018年の11月末に軽井沢安東美術館の設計をご依頼いただいたとき、クライアントの安東泰志さんは建設用地をすでに取得されていました。

通常は設計のご依頼を受けた後、すぐに敷地を見に行きます。
しかし、今回の敷地はよく前を通っている場所だったので、まずは藤田嗣治と美術館のリサーチ、そして必要諸室の洗い出しなど、前提条件の整理に集中しました。
ちょうど2018年は藤田嗣治の没後50年にあたり、展覧会がいくつも開催されていました。
12月6日には神戸へ出張に行く途中、東京で見逃していた≪没後50年 藤田嗣治展≫を京都国立近代美術館で鑑賞し、9日は笠間日動美術館で≪日仏友好160周年・没後50年 藤田嗣治と陽気な仲間たち≫を観ました。

また、直島、豊島、犬島の美術館、現代美術作家である杉本博司が設計した江之浦測候所も訪れました。

そして2019年の元日、改めて設計者目線で現地を訪れたのです。

我が家は毎年、軽井沢の別荘で年越しをするのが恒例となっています。
その年も大晦日にスキーをし、元旦を別荘で過ごしたあと、午後少し遅くなってから、妻と娘の3人で散歩がてら徒歩で向かいました。

2019年元旦の軽井沢

よく晴れた年始でしたが、人影も少なく、真新しいノートの1ページのように清々しい静けさがあたりを包んでいました。

敷地は軽井沢駅から徒歩10分足らず、大賀ホール(大賀典雄・ソニー株式会社元名誉会長が建設したコンサートホール)の斜向かいです。

2019年1月の敷地の状態

安東さんは軽井沢に美術館を建てると決めて、駅から離れた広い敷地にするか、駅に近いエリアにするか、考えられた結果、多くの人に藤田の作品を見て欲しいとの思いから、アクセスの良いこの土地を選ばれたそうです。

大賀通りをはさんで反対側の歩道から見た敷地

設計者として敷地を見に行くときは、方位や敷地の形状、高低差など、敷地そのものの状況を確認することはもちろんですが、隣りや道路を挟んだ向かい、さらに広い周辺の環境や交通要所からのアクセスも意識します。
それに加えて、ぼくは「抜け」というものを見るようにしています。
建物であれ、木々であれ、どこが塞がっていて、どの方向に視界が抜けるのか。風がどのように抜けていくのか。

安東美術館の敷地では、南西へ空が抜けていて、その横に大賀ホールの尖った屋根がよく見えました。
午後4時頃で、きれいな西日が差していましたが、正直なところかなり強烈な西日だとも思いました。空気が澄んでいるからでしょうか。
いずれにしても、西側だけが道路に面していて、隣地の状況も考えると、西に開いた設計になるだろうと思いました。

敷地前の歩道から西南の大賀ホール方面を見る

ところで、実際の安東美術館をご存知の方は、敷地写真を見て気付かれたかもしれません。
そう、最終的には西と北側に接道する、正方形に近い敷地になりましたが、プロジェクトが始まった当初は南側半分の長方形だったのです。

下は2022年に完成した美術館の屋根と敷地を上から見た図ですが、赤の網掛け部分が当初の敷地でした。

軽井沢安東美術館 配置図 兼 屋根伏図 (赤い部分がプロジェクト開始当初の敷地)

当時の敷地面積はおよそ660m2(約200坪)。
建蔽率(けんぺいりつ。敷地面積に対する建築面積の割合)は60%、容積率(敷地面積に対する延べ面積の割合)は200%、建物の階数は地上2階まで、高さは10mまでと制限された地域です。

この土地に美術館の必要諸室をおさめようとすると、地上2階だけでは面積が足りず、総地下の建物とせざるをえないことは安東さんも予想されていました。
軽井沢は湿度が高い上に、計画敷地は地下水位が高く、地下を設けるのに向いていません。
ぼくも安東さんもそのことは承知していましたが、当時はこの敷地に建てる以上、総地下は避けられないと考えていました。

後に隣地を取得することになるとは思いもせず、まずはこの長方形の敷地で初期の設計がスタートしたのです。

つづく

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