言葉を覚えたいと希求する瞬間

過日所用でインドネシアへ出向いてきました。
インドネシアで会った人々は,皆さんが現地語と英語を切り替えて使っていることに衝撃を受けました。英語が外国語のはずなのに,なぜにそこまで話せるのだろう。こちらの同行者が英語を解するから助かったものの,それでも堪能な英語に舌を巻くばかり。

その中でタイミングが重なり,向こうの人と自分とで一対一で山登りの話をすることになってしまいました。

さて困った。
アルバムを見せながら英語で話しかけてくる。
断片的には理解できるけども,こっちが返そうにも語彙が見つからないのです。

ここで気が付いたのは,どんなプラモデルもパーツがないことには完成し得ない。つまり,単語を知らないことには会話も何も,英文法すらやれるわけがない,ということ。賛否両論あるでしょうけども,取りあえず今なお覚えている単語で意味から思い出せたもので何とか話したけども,単語を獲得することは本当に大事なんだと痛感しました。

馴染みのない現地語の挨拶も,四日後に帰途につく頃には口を突いて出てくることに驚く。
語学習得は,その土地に放り出されて必要性に迫られれば可能なんだなあ,と肌で感じました。

今日から単語をもう一度書いて覚えようかな。

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