年始にあったしあわせたち
書こうと思って時間が経ってしまったけど、年始にあった幸せたちについて書いていこうと思う。
大阪のおばあちゃん
「おばあちゃん、誕生日に何か欲しいものある?」
「もうないねえ。会いに来てくれるだけでうれしいよ」
1/14はおばあちゃんの93歳の誕生日だった。会いに行けていない。
関西に住んでいた父方のおばあちゃんが立て続けに詐欺に会い、実家の近くの老人ホームに引っ越してきてから早2年。実家に住んでいた時も、東京でシェアハウスに住み始めてからもそこまで頻繁には会いに行けていなかった。
老人ホームに移ってきてからの2年で脳梗塞になったことがある。リハビリのために老人ホームから病院に運ばれる時に、私の人差し指を近くに差し出すとゆるくにぎってきてくれた。その日の夜、私はおばあちゃんの死を近くに感じて怖くてあまり寝付けなかった。
そんなことがありつつ、2024年の新年は、両親、父方と母方のおばあちゃんでおせち料理を食べた。母方のおばあちゃんも89歳だが元気に歩いている。うちの家系のおばあちゃんは生命力が強い。
小さい頃は、おばあちゃんの家があった武庫之荘に行って、親戚でおせちを食べていた。武庫之荘は兵庫だが、大阪の梅田からすぐなので、父方のおばあちゃんを大阪のおばあちゃんと呼んでいる。兄弟もいとこもいない私は、おばあちゃんの親戚の年の近いお姉ちゃん、お兄ちゃんと遊んでもらうことが毎年の楽しみだった。あとお年玉も。
その毎年の恒例行事がいつの間にかなくなり、お正月も私が留学に行ったり、実家に留まったりしないことが多くなって家族バラバラで過ごすようになった。
だから2024年は久しぶりに家族多めで集まる機会だった。老人ホームで、みんなでたくさんのごはんを囲んで食べて、おしゃべりしながら、これおいしいね、おなかいっぱいって言えるのって幸せだなって思った。
おばあちゃん用の柔らかいおせちを頼んだらしいが、おばあちゃんの歯は入れ歯一つない超健康歯だったので、柔らかいおせちはみんなで食べることになった。柔らかいおせちは見た目は鯛、ハンバーグなどとにかく豪華なのだが箸でつまむとすぐ崩れて口の中に入れたら若干の味の違いはあるものの全て食感が一緒だった。
料理をおいしいと感じることのひとつの要因は食感なのだと気付いた。自分の歯があって、料理をおいしく食べれていることに感謝した。
ボギーのおばあちゃん
ボギーのおばあちゃんは、母方のおばあちゃんの通称である。母方のおばあちゃんの家は実家に近く、私が小さい頃2匹犬を飼っていて、その犬の名前がボギーとチャッピーだった。ボギーは私が物心つく前に死んでしまい、チャッピーが中学生くらいまでは生きていたと思うが、今はどちらもいない。ただ、通称はボギーのおばあちゃんである。
みんなでおせちを食べた老人ホームからの帰り道、ボギーのおばあちゃんを家に送っていく帰り道、おばあちゃんはどんどん小さくなっていくなあと思った。歩くスピードをおばあちゃんに合わせてゆっくり歩いていると、
「この道を帰る時、小さい頃はおばあちゃん早いよ〜って言ってたんだよ」と言ってきた。
最近は亡くなる人の数が多いから横浜の葬儀場が忙しいらしい、亡くなってから2週間待ってから火葬する人もいるという話をおばあちゃんがしてくるので、じゃあ死ぬタイミングちゃんと見計らわないとね〜長生きしてね〜と喋りながらおばあちゃんちに向かう。
おばあちゃんの家に着くとおじいちゃんがこたつでテレビを見ていた。明けましておめでとう、と言ってこたつにもぐりこみつつ、「テレビ見ていい?」と聞くといいよとチャンネルを譲ってくれた。
こたつ寒くない?と言うと「ちょっと待ってねこのこたつはおばあちゃんの言うことしか聞かんから」と温度を上げてくれた。
いつもこたつの上にあるお菓子ボックスに手を伸ばして、袋を開けつつ食べていい?と聞くと「なんでも食べなさい」と言ってくれる。
こたつが温まっていくとともに心も温かくなる。
テレビのチャンネルを譲ってもらえたり、こたつの温度を調節してもらえたり、お菓子をなんでも食べていいと言ってくれたり、アイスを出してくれたり、私はすごく大切にされてきたんだなあ、とじんわり心が温かくなって仕事でずっと強張っていた緊張の糸がほどけていく感覚があった。
89歳というおばあちゃんの年齢を聞いてから、改めて思って伝えてしまった。
「わたし、おばあちゃんが生きているうちに孫を見せられないかも。結婚もしないかも」
その時私がごめんね、と伝えたかどうかは忘れた。おばあちゃんは「そっかぁ」と言った。残念そうだったかどうかはわからなかった。
「うちの両親もおばあちゃんもおじいちゃんも実家に帰っても結婚はまだかとか聞いてこないでしょ。だから全然焦らないの。でもそう言われないのはすごくありがたいの」
と伝えた。
「じゃあもっと言わないとね」とおばあちゃんは笑いながら言った。
「やめて〜縁談とかもってこないでね〜」と私も笑った。
両親
最近我が家で台所リフォームをするかどうかの会議がされたらしい。父が言っていた。
「お母さんがいつまでこの家住むのか、とかおまえが結婚したらこの家に住むのかとかそういう話をして全然進まない。」
その流れで父から、親が子供を縛っちゃいけないんだという言葉が出てきた。
父は、今は亡き父の父(おじいちゃん)から、死ぬ間際に莫大な借金を残されて大変な思いをしてきた人だった。私にその借金が引き継がれないようにずっと一生懸命私の見えないところできっとものすごくたくさんいろんなところで頑張っていた。そのおかげで私はのびのびと自由に育ってこれた。
私は父の本当の苦労を知らない。
ここ数ヶ月、私は家族含めて、友達や周りの人から愛されて育ってきたんだなということを実感している。
その中でも家族からの愛。おばあちゃんからの無償の愛は、働いてからより実感する。仕事ができなくても結婚してなくても私の存在を大切にしてくれる人たち。
私は今まで受けてきた愛をどう返せるだろうか。大阪のおばあちゃんには旅先での写真を見せて思い出を語ること、ボギーのおばあちゃんには旅先でのお土産を買ってくること、おばあちゃんの大好物の御座候を買ってくることしか思いつかない。
あとは一生懸命生きて、人生を楽しむこと。楽しんでいるということを伝えること。
おばあちゃんとおじいちゃんと過ごせる時間は限られている。その中で私が何をしたいのか、会えなくなる前にちゃんと考えたい。
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