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相鉄都心直通記念ムービー 『100YEARS TRAIN』を作ってくれてありがとう。

つい最近ツイッターのタイムラインにこんなツイートがまわってきてまたたくまに拡散されていった。


相鉄線は高校生の時に自分の母校があったので毎日使っていた。

この路線は海老名と横浜を結ぶ。学校は希望ヶ丘高校で駅名も希望ヶ丘だった。高校に行くためにしか使わないという希望ヶ丘生からも超ローカル線と愛されている、それが相鉄線だった。

その時使っていた電車はこちら。

(出典:相模鉄道)

なつかしい!

たしか学校を卒業してから1年後のこと。6月の文化祭に行くために久しぶりに相鉄線にのると電車がとても近未来になっていた。ツイッターでつぶやくと同級生、後輩たちも相鉄がかっこよくなったと話題になっていた。

(出典:相模鉄道)

その少しあとに誰かから相鉄線が敏腕クリエイティブディレクターによってブランディングされているという話を聞いた。

その時は「あ~だからあんなにかっこよくなったのね。」くらいにしか思ってなかったが、この相鉄「100YEARS TRAIN」を見て衝撃と感謝とそのほかの言葉では言い表せない感情で胸が熱くて呼吸が苦しくなった。

今回のnoteはこの自分の感情がなんだったのかを分解していくnoteにする。

・明治時代から続く高校「希望ヶ丘」と100年続く相鉄線

自分が相鉄を使うのは希望ヶ丘高校に向かう時だけだった。

高校生のとき通学で毎日使い、入学する前、卒業してから母校に行く時にしかこの路線は使わなかった。だから私にとって相鉄線=希望ヶ丘高校だった。

希望ヶ丘高校は生徒の主体性を重んじる高校で制服なし、ピアスOK、染髪OKという校則というものがない学校だった。とても自由で先生もなにも言ってこないからこそ、ここでは自由の権利と義務を生徒たちで考えなければいけない、そんな学校だった。

大学生は制服がなくなり、授業も自分で組めるので一見「自由」に見える。多くの大学生は自由の権利だけを訴えるが大学には義務が存在しない。「授業に出る」「テストで良い点を取る」「サークルで遊ぶ」全て自分次第だがここにはだれかから強制される”義務”がない。

その点、希望ヶ丘は「生徒の主体性を重んじる」という先生からの信用、信頼があったうえでの自由だった。だから私たちはその信用、信頼をなくしてはいけない義務があった。文化祭、合唱祭は全て学生主体、修学旅行の生徒の自由時間同学年、同クラスで過ごす時間も全て有志団体、もしくはクラス代表がどうするか決めていた。その分、希望ヶ丘の生徒(と言ってしまうと遠くなっちゃうのでつまり私の希望ヶ丘の友達)は全員人間の質が高かった。自分でやってはいけないこと、やるべきこと、やった方がいいこと、やりたいことなどを毎日考えているような人たちだった。

そんな人たちに囲まれて過ごした高校生活は毎日が輝いていた。希高生はみんな希望ヶ丘が好きで誇りに思っていたし私もそんな希高生と希望ヶ丘が好きだった。

そんな思い出がたくさん詰まった高校に行くために毎日相鉄線の「希望ヶ丘駅」で降りていた。中学生の時に志望校にしてから入学する前に初めて相鉄線にのって希望ヶ丘駅で降りた時は「絶対にこの高校に入るんだ!」と緊張しながら改札を通ったし、卒業してからは「あの頃の自分に負けないように今をもっと頑張ろう」と思える。

私にとって希望ヶ丘はパワースポットだった。

そして不思議なことに希望ヶ丘に向かうために横浜から相鉄線にのるときからドキドキする。神社が神聖な気持ちになるパワースポットだとすれば相鉄線の横浜駅の改札は私にとってまさしく神社の鳥居そのものだった。(結構まじめに)

希望ヶ丘が今の場所にうつったのは昭和だが、創立自体は明治時代。希望ヶ丘は自分にとってのとても大切な場所、そして相鉄線は希望ヶ丘そのもの。だからこのCMの大正から令和に至るストーリーも今の自分が歴史の上になりたっているというとても大きいものの存在を感じて畏敬の念を抱いた。

私の胸が苦しくなった理由の9割は大正から令和へと場面変化していくこの広告を見たことで自分の母校の歴史を感じ、その歴史といまの自分がつながっていることを感じたからだったと思う。

・企業広告でストーリーをつくる

残りの1割の話。

この広告は広告だけど、映像作品だ。二人の男女が時代を超えて出会うという物語。

私はこの3分半のショートストーリーに強烈に惹かれた。

企業広告なのに、そこには広告ではなく物語がある。

もともと少年ジャンプを読んで育ち、高校時代に伊坂幸太郎にどはまりした私の精神はフィクションでできている。

自分がフィクションでできていることに気づいたときは困惑したが、フィクションは現実ではないからこその強さがある。

企業が広告として物語を出すこと。物語は人の意識に入り込む。そしてそれは自分で考えたかのように時間がたつにつれてにょきにょきと成長し人の価値観になる。

物語はみんなが簡単に理解できるように分かりやすく作られている。だから企業が物語広告を出すということはとても力が強い。一歩間違えばプロパガンダになりかねない。

だけど反対にいい方向に導く力も単純に本で書く物語よりも大きい。


このCMを見て私が人生をかけてずっとやっていきたいことは物語を作ることだったのだと気付いた。どんな場所にも物語は存在する。私は物語があるものに強烈に惹かれ、自分でも物語をつくりたい衝動に駆られる。このCMはそんないままで気づかなかった自分の気持ちをクリアにしてくれた。

きっとこのCMは今後も何度も見返すだろう。


このnoteを締める言葉として「私もいつかこんな仕事ができるように頑張ろう」とかを書こうと思っていたが、書いているうちに違うことに気づいた。

”いつか”やりたいのではなく今からたくさんの物語をつくっていく。とにかく手を動かしてたくさんの物語を人生で描ける分だけ描いていく、それが私の役割だと自覚した。


最後に、

この相鉄100年プロジェクトにかかわっている全ての方々に感謝と敬意を込めて。



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