ユニ

1970年生まれ、先天性感音性難聴として日々落ちていく聴力と向き合いながら、生活をして…

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1970年生まれ、先天性感音性難聴として日々落ちていく聴力と向き合いながら、生活をしています。自分が見て感じてきた、昭和・平成とこれからの令和時代を、私の目線で綴りたいと思います。拙い面は多々ありますが、優しく温かい目で見つめていただけると幸いです。どうぞ宜しくお願い致します。

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自己紹介

はじめまして。 色んな方の『note』を読ませていただき、興味津々で始めることにしました。 内容は主に私の生い立ちや、家族のことがメインになります。 ただ、私自身が先天性感音性難聴として生まれたのもあり、正直温かい雰囲気の中で育ってきたわけではありません。また、少々ファザコンの気もあります。 もしかすると、共感を得られるかも知れませんし、逆に読むのが辛くなることもあるかも知れません。それでも、私が嬉しかったことや、思い出すのが辛いこと、親しい友人やカウンセラーさんにも

    • 母がいる

      ある時から気になり出した。 自分の中に亡くなった母がいること。 うっかりした失敗の癖、あくびの声、匂い。 お祓いすれば消えてくれるだろうか。 なぜなら、どうしても虐待を受けていた自分が、体の中で苦しいのだ。 カウンセラーさんに話していて、 「私は『家族』という味方がいなかったから、味方になってくれる『家族』が欲しい」 そう、ポロッと言葉が転げ出た。 改めて言葉にすると、胸が苦しくなる。 まだ10代にもならない子供、10代の大人から狙われやすい子供。 一度も助け出してはもらえな

      • お葬式は区切り

        未だに母の存在を感じながら、毎日を過ごしている。 家を出て随分経つけれど、まだ寝ているときに蹴られるんじゃないか、踏まれるんじゃないか? はっと目を覚まして、自分がいまいる場所さえ混乱して分からなくなる。 私は母の葬儀に出なかった。 もし出ていたら、きょうだいを始め親類たちから睨まれたり誰も見ていない場所でまた虐待を受ける恐怖から、欠席することを選んだ。 それは後悔していない。 だけどそれが、母の存在を消すことが出来ていないのだと思う。 でももし、葬儀に参列したら新しい虐

        • きょうだいが受けた虐待とモラハラと

          これまで自分が受けてきた虐待を、ポツポツと書いてはきたけれど、そうしながら気が付いたことがありました。 私が虐待を受けているのを見てきた、きょうだい二人。少なくとも影響があるはずと。 私だけが母から叩かれていたときに、それを見ていたきょうだいにも、精神的な影響を受けてたと感じたところが私への態度に出ていました。 上のきょうだいは、私に対して睨み付け舌打ちをし、一切口を利かない態度を10年以上続けていました。目が合うと「こっち見んな」と更に睨み付けてきて。そんな私を見ていた下の

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        自己紹介

          障害を持ってたら、ハラスメントを受けるのは当たり前?

          昨年夏に採用していただいた会社。 社員は私ともう一人オーナー様のご家族、そしてオーナー様の三人でした。 ネットショップのページを作成することになり、やったことがない私が担当することになりました。 通勤するにも、オーナー様が在席してる時しか伺えない。 それでも少しずつ作成を進めていました。 目標は10月完成。 でも、時間が足りず、年末までかかりそうだなと思っていたら、突然のクビキリ。 オーナー様の思い通りに進まないことに腹を立てての宣告。 一度もネットショップの進捗を確認もせず

          障害を持ってたら、ハラスメントを受けるのは当たり前?

          デフ・ヴォイスを見ながら

          昨晩放送されたばかりの、NHK『デフ・ヴォイス』。 https://www.nhk.jp/p/ts/D6P3JWP8J7/ 前編、後編と分けて放送されるとのこと。 見逃し配信で少しずつ見ています。 考えさせられる、「聞こえるから通訳しろ」と言われてしまうこと。 家族の中で一人(自分だけ)聞こえることは、喜ばしいこととは言いにくいと思う。 そんなことを考えながら、自分のことを振り返ってしまうので、なかなか話が先に進められない。 自分だけが聞こえない、他の家族はみな聞こえる。で

          デフ・ヴォイスを見ながら

          亡きおばあちゃん

          『亡くなった方と夢の中で一緒に食事をしたら、近いうちにあの世へ呼ばれる』と聞いたことがあります。 昨晩の夢、亡き母の思い残しなのかどうかは不明だけど、両親ときょうだいを東京新橋の江戸前寿司に呼び寄せて、皆でご飯を食べたあのお店に亡き両親がいた。美味しそうなお寿司。マグロの赤身も新鮮さが伝わるほど。 だけど、私だけなかなか食べられない。 というのも、野鳥がお店の庭に集まり、可愛らしさにスマホカメラを向けるのに一生懸命だった。 気が済んだので、さあ食べようとしたら、いつからいたの

          亡きおばあちゃん

          納骨後のお参り

          8月にそれまで一切連絡がなかった義姉からメールが届いた。 恐らく兄が私のメアドを教えて、自分の代わりにメールするように頼んだのだろう。 要は母の納骨を執り行うから、来ないかという連絡だった。 モヤモヤした気持ちが晴れず、結局返信はしなかった。 後日、唯一頼っている従姉妹から納骨が無事に終わったことと、兄弟も義姉も母方の親戚も揃っていた連絡を受け取った。 行かなくて良かった。 10月に入り、故郷に住んでいる古い友達に会うことになり、出掛けていった。 一緒にランチをして、近く

          納骨後のお参り

          ふるさとを探す

          何年も行けず我慢していた、福岡・久留米市へ思いきって出掛けた。久留米市はなんと言うか、私の気質に合う気がしている。 旅先なのに地元のように歩ける気楽さ。どんどんどこへでも歩いていけそうなくらいに。 私が生まれ育った街は、自転車で走った。 歩こうと思えば一時間でも歩いた。 幼少時に馴染んだ、今はもうない商店街があったところに行けば、自然と足元に力が漲った。 実家から10~15分くらい出歩くと、緑の繁った大きな古墳にたどり着く。 ここが私のパワースポットだと思っている。 数年前

          ふるさとを探す

          例えばホクロがあるように

          カミングアウトについて、思うところがある。 私は聴覚障害を持っているから、ある人たちから「生きやすくなるだろうから、カミングアウトした方が良いよ」と言われたことがある。 確かにそれはそうだろうけど、障害を持っていることを悪用する人たちが一定数いることも知っているから、カミングアウトには慎重にならざるを得ないところがある。 型にはめようとする親や兄弟と暮らしてきたから、そこから逃げ出そうとしていた私。 もっともっと、カミングアウトという言葉の重みがなくなるくらいに、一緒にいら

          例えばホクロがあるように

          自分の機嫌すらとれない

          まいった。 毎日「希死念慮」が襲ってくる。 昨日、カウンセリングを受け、少しは落ち着けたかと思ったけれど、全く変わりなし。 本心というか根っこの部分が、どうしても伝えられていないんじゃないかと思う。 誰かとLINEをするだけでも不安で仕方がない。自分が邪魔になってしまう、と怖いのだ。 邪魔になるとどうなるのか、母や兄からされたように睨み付けられ一切口も聞いてもらえなくなる。 殴られるよりも、ある意味暴力的なのだ。 いっそ本当に自分が消えてしまえば、こんな苦しみから逃れら

          自分の機嫌すらとれない

          悲しいのを誤魔化して食事する

          今でも思い出すのだけど、父の危篤を知らずに実家へ帰り、私にだけ隠し通そうとされた怒りをグッと抑え込み、ただただ残された父との時間を過ごしていた。 一時的に帰宅して、冷蔵庫の残り物で牛丼を拵えて親戚ときょうだいに食べさせた。 ふと、これは父が望んでいることだろうなと思えた。娘である私の拵えるご飯を、いつも笑顔で食べていた父。高血圧だから塩分控えめにして、薄味だけど出汁を効かせたお惣菜を出していた。 父の事だから、そのお惣菜を一度は食べてもらいたいと、考えてただろうと思う。 

          悲しいのを誤魔化して食事する

          母がいない母の日

          子供の頃は、それなりにカーネーションをプレゼントしてみたりしていました。 受け取ったときの母の表情は記憶にありません。 喜んでいたのかさえも覚えていませんが、毎年たくさん用意されているカーネーションの中から、これといった一本を選んでいた自分の真剣さをほのかに思い出しています。 昨年の残暑に母が亡くなって以来の母の日。 実はその数週間前に、どういうわけか自分の中から母に対して感謝の気持ちが宿りました。 生前、元気だったときにも面と向かって、感謝の言葉を伝えたことはあります。そ

          母がいない母の日

          生きてるうちに出来たこと

          お読み下さいまして、有難うございます。 母が他界して今月で、7ヶ月。 しばらくはまだ生きているような気がして、現実と思考がチグハグでした。 虐待親ではありましたが、私が母がいる実家から逃げ出す前に言葉にして面と向かって「産んでくれて有難う。」と伝えることが出来ました。 生きている間でなければ、と思ったので投げやりにならないように、気を付けながら伝えました。ところが、事あるごとにニヤニヤ笑いながら「もう一度言ってくれ」と催促されるのにウンザリしてしまい、「しつこい!」とバッサ

          生きてるうちに出来たこと

          悲しいという感情

           虐待加害者だった母が亡くなり、もうすぐで半年になる。 未だに自分の中で存在がありありとしていて、本当にこの世から消えたのか実感がない。 夢にも相変わらずあのままの性格で出てくるものだから、実家と今の自宅との区別がつかないこともある。 ゾワゾワしながら朝に目覚め、ふとした瞬間に実家での動線が身体に現れ、落ち着かないことこの上ない。 今をもってしても、母が亡くなったことに悲しみが沸いてこない。我慢しているわけでもない。 恐らくだけど、仮に葬儀場にいてたとしても泣くことはなかっ

          悲しいという感情

          亡き後から追いかけてくる

           虐待加害者である亡き母が、しょっちゅう夢に出てくる。夢の中でも変わらず自分の事ばかりだが。 思うに、まだ成仏していないのかも知れないということと、私がお葬式に参列してきちんと別れていないからじゃないかと。 前者は亡くなってから二日三日後に、遺体が発見され悔いるような、或いは助けを求めるような気持ちのまま逝ってしまったから、成仏しきれないのかも知れない。 後者は娘が自分のお葬式に参列しないことに、異議があったんだろう。(それでも私はきょうだいと親族から自分を守るために、参列は

          亡き後から追いかけてくる