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ふるさとを探す

何年も行けず我慢していた、福岡・久留米市へ思いきって出掛けた。久留米市はなんと言うか、私の気質に合う気がしている。
旅先なのに地元のように歩ける気楽さ。どんどんどこへでも歩いていけそうなくらいに。

私が生まれ育った街は、自転車で走った。
歩こうと思えば一時間でも歩いた。
幼少時に馴染んだ、今はもうない商店街があったところに行けば、自然と足元に力が漲った。
実家から10~15分くらい出歩くと、緑の繁った大きな古墳にたどり着く。
ここが私のパワースポットだと思っている。
数年前にふるさとへ行ったら、自転車は減り歩く人も見かけなくなった。みんな公共交通機関や自動車を頼るようになった。
寂しくなった街の景色を見て、もう戻る場所ではないことを感じ取った。

久しぶりの久留米、変わらないところもあるけれど、ほんのちょっぴり違和感を感じる変化もあった。土日でも車が少ないのだ。
みんなバスに乗ってるんだろうか?
7月の暑い最中だから、外出していないだけなのだろうか。
暑すぎると街の活力も弱まる。それは、ふるさともそうだった。
食事前に散歩して見かけた、教会が涼しげに立っていて懐かしさを感じさせた。ふるさとにもカトリック系の幼稚園が見える場所がある。
眺めながら、私がふるさとと呼べる場所を作っても良いんじゃないか、とふと思った。
実家があった場所を、ふるさとと呼ぶにはとても辛い思いがある。これから先、生きていく場所を決めたい。
もう親から縛られない、自由なんだもの。

帰宅してから久留米の物件を検索している。
今住んでいる街も捨てがたいのだけど、祖母と手を繋いで歩いたあの商店街の空気に似ている、久留米の繁華街をまた歩きたい。
もしかしたら、久留米ではない場所へ移るかも知れないけれど、自分が生きていきたいと思える場所で暮らしたい。
それは『生きたい』と力が出てきた証だと思ってる。

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