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芋虫の幼稚な情熱

未来は選べる!
なんて聞くと、迷いがでるやんか。

まるで、自分の選択が違うのかも、もっと良い未来があるのかも、今の私はより良い方向を見逃しているのかも、と思ってしまうやろ。

この世は矛盾だらけで、ただでさえややこしいのに『この世の仕組みは実はシンプルです』などと聞くと、シンプルに考えていない自分はいかがなものかと、また迷宮に入ってしまう。

そう、私はやってしまった。
迷宮に入ってもうた。

人に言われるまで気付いていなかったが、コロナ後、そういえばなんだかモヤモヤしていた。なんか中途半端でいけない。それをおして通常運転で1ヶ月きてしまった。

ウィルスの、変革をせまるような性質の影響か、梅雨のせいか天体の動きか、私のもともとの性格か。

落とし穴に落ちるように、昨日突然カッコーンと動けなくなってしまった。

ああ、ベランダの若芽を蝕んでいた芋虫を棄てた。私も芋虫のように、床と背中が離れない。食べる時とトイレに行く時しか起きれない。それ以外はこんこんと眠る。寝て起きて寝ておきて…何も出来ない。

自分はどうしようもない、希望もないやりたいこともない。生きてる意味がない、と久しぶりの感覚が甦る。前向きになんかちょっぴりも思えない。ああやっちまった。
たっぷり33時間、芋虫状態でいた。

自分を整えるために、日頃からあんなこともこんなことも(ヨガとか瞑想とかファスティングとかアファメーションとかゼロ秒思考とか毎日自分の気持ちを伝える事とかもう何だって手当たり次第)しているけれど、落とし穴に落ちては、どれもが空虚だ。

私は身の回りになんの問題もない。
いい人間関係、いい仕事、いい環境。事件はなにも起こらない。

私の問題は内面にある。
外側には何もないのに、ある日ぱっこーんと落ちるのだ。

鳴門海峡よりも渦巻く脳ミソを、芋虫より動かない身体から切り離す。自分の首を胴体から引っこ抜いて、頭部を棄てる。そしてまた眠りに落ちる。

そして自覚する。ああ、忘れていたな、自分を褒めてなかった。ねぎらってなかった。
駄目だねダメダメと自嘲ばかりしていた。何にもしていないとバカにしてしまっていた。(だって、ホントになにもしてないもんとまた脳内で呟いている)

自分自身について
弱い
体にくる
ハリボテ
ふわふわしている
やるべきことが無い
いい人
信用していない

というような言葉がでてきた。

マドモアゼル愛という人の話で、月星座における『欠損』という考え方がある。
その話でいうと私は、情や愛情、信じるという事がわからない、そこが欠損している、ということになる。
「はー!なるほど~」と得心した。
私はずっとずっと、そう思っていた。そうなんです!と両手で机を叩きたい気持ちになった。

マドモアゼル愛はいう。常に自分の運命に対する焦りを抱くようになるでしょう。不満足な生涯を送りやすいのは、この人の特徴です。きゃーあたってるーきがするー

けれども『信じられない』からこそ、幼稚にも『情や愛情、信じること』を懸命に追い求めるのだ、とも教えてくれた。

愛や信用、それらが解らない、手に入れられないからこそ純粋に追い求める。その純粋な希求にこそ、私の価値があるのだと。


実は欠損は自分の本当の姿ではない。
そうした自己印象から自由になることを気付かせてくれるのが『月の欠損』なのだという話だ。

私は月の呪縛から解放されたい。

私たちは目の前にある事象を『どう捉えるか』は選択できると思う。
けれども『望んだ未来を生きれる』というのはどういうことなんだ。

私たちの出来ることは
残念をヨカッタに
失敗を恵みに
苦しみを気づきに
悪口を羨望に


そういう『解釈を選択すること』であって『望んだ未来を選ぶ』のは、そんなん分からんな!と感じてしまうのは今の私の限界か。

私たちひとりひとりの力は強くなる一方だとおもう。

歴史は進んでいる。
私たちは、王様や力のある人に支配されることから、戦争や強い軍事力に従うことを経て、お金持ちやお金を作れる企業を、収入のある仕事を目指す時代に移り、そしていま、これからは民衆、大衆が強い時代がやってきている。


ツイッターやフェイスブックが大統領を決めたり、引きずり下ろしたりしている。
個人のインフルエンサーは、企業並みの力を持つ。

諦めている自分が根強くいるけれども、未来を選べるなら、私も自分の力を信じたいし、この時代の後押しでもって、私自身をもり立てたいとも思うよ。

私の稚拙な…信じる力や自分では見えない愛情を、よければ、周りの人には温かく見守っていただけたらなー、と(図々しいかな)言ってみる。

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