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ささやかな反抗のつもり

学校からの帰り道。

坂道を振り返りながら、ローファーを脱ぐ。
踵に手をかけて、すっかり暗くなった夜道を照らす、青白い電灯を見上げる。

いつもは遠くに見えるはずの高速道路が、今日は少し近い。
車が私の横を通った、そんな音がした。

足裏から靴下をつたってのぼる道路の冷たさと硬質感が、
外で靴を脱いで、ありのままの足で歩いているという自分の異常感を、私に与える。
こんなことをするのは私ぐらいだろう、と。自分の固有性を満たしたことによる満足の念と、一抹の寂しさが積もる。

ペタペタと、正直な感覚が足裏にある。
今私は地面を歩いている。

世界は靴を履いて歩くことを常識としていて、母はいつだったか、素足はガラス片が刺さるから靴を履かねばならないと、言ったのを思い出す。

私にまとわりつく、停滞した時間をどうにか振り払おうと、言い表せない焦燥が、社会規範を越えようと声を上げる。
ただただ、焦りだけが加速していく。
何かを起こさねば、気がすまない。

人に何かを言うことも出来ず、自分独りでは傷つくことが怖くて何も行動できないことを知っていて、勝手に諦めている。
私に諦めている。

冬の帰路で、痛いほどに冷たく無機質な地面に、ローファーではなく素足をつけて歩く。
常識にはそぐわない。
ただ靴を脱いだそれだけのことだが、
それは私なりの、世界への反抗なのだ。


【説明】
15歳(中3)の冬の学校の帰り道でのことを思い出して書きました。
学校が楽しくなくて、なんで学校に行かなきゃいけないんだろう、とか。
勉強してなんの意味があるんだろう、とか。
そんなことを悶々と考えながら、常識なんてクソ喰らえって思ってても、
実際に、誰かに何かに反抗する勇気は私にはありませんでした。
でもずっと、何かに反抗したかったし、学校での没個性的な自分が嫌いだった。
だから、傷つかない程度に常識に反抗して、自分の固有性を実感したかった。
それで、靴を脱いで、素足で道路を歩いた。ただそれだけのお話です。
思いついたから、気まぐれに書いてみたってだけです。
特段の意味は何も込められていません。


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