ゆきだるまの高校生活②
こんにちは。ゆきだるまです。
前回、私が学校に行けなくなった大きな要因でもあるAPDについて少し(いや、かなり)説明しました。
今回から、私がどんな一年を過ごしてきたのか振り返っていこうと思います。
前兆はあった?
実は、高校入学前、中学3年生の冬ごろから、私はある症状に悩んでいました。
それは、トイレがあまりに近いこと。
授業中一時間教室にいられず離席するほどでした。
親には相談しなかったのですが、ある時に親にばれて、それから泌尿器科にいきました。
当然検査をしたのですが、特に異常はなく、医師からは心の方の問題ではないかと言われました。
高校に入学してからは、先生に断りを入れずに途中離席していいと言ってもらえたうえに席も廊下側の一番後ろと離席しやすい席に固定してくれたので、特に悩むこともなく過ごせていました。
でも、今思えば前兆自体はあったんですね。
面談で起こったこと
さて、ここからは前回記事に書いた5月の”ある事件”について話そうと思います。
ちょうどGWが終わった後でした。私のAPDについて、先生と面談することになりました。
主にテストでの配慮を求めるもので、APDについての症状等の説明をしていました。
そこまではなんとなく覚えているのですが、実は、その後のこと、もっというと全体でどんな話をしたかあまり覚えていません。時期がたったからではなく、面談が終わって家に帰ってから既に記憶が曖昧でした。
でも、一言だけ、強烈に覚えている言葉があります。
「それってみんなそうなんじゃないの?」
今考えればその先生もAPDだったという可能性もあったと思いますが、その時の私はそんなこと思い付かず、とにかくショックでした。
そしてそのあとはずっと泣いてしまい、先生も困惑している様子でした。
もうその瞬間走って帰りたい衝動を抑えて面談を終えましたが、迎えにきてくれた母の車の中で(足を怪我していた関係で)また号泣し、母も困惑。
理由を説明したら両親はわかってくれたのでそれはありがたかったです。
そして問題はその後。
1週間、学校いけませんでした。
後で親に聞いたところ、とても行かせられる状態ではなかったとのことでした。
そして休んでいた週のある日、転機が訪れます。
病院に行けた
APDについて思うように理解が得られなかったことを機に、ちゃんとした診断を取りたいという話になり、東京にある赤坂虎ノ門クリニックに受診できないかとなりました。
でも、当然最近診断が始まったばかりで他にもたくさんきているのだから予約なんてとれないだろう・・・なんて思いながら母が電話したところ、
なんと、ちょうどキャンセルがでてその日に行けることになったのです。
本当にあれは奇跡だったと思います。
そして、その日のうちに病院へ行き、検査の予約を無事とることができました。
SSWさんとの出会い
私は5月からずっと、SSWさんとの面談をしていました。
その方には、かなり本音を話せたと思います。
APDにも理解を示してくれ、私自身をおおいに肯定してくれました。
それは、内心本当に嬉しかったです。
心療内科へ
そして来たる6月。
私は心療内科へ通い始めました。
そしてそこででた診断が、うつ病、適応障害でした。
中学のころからなんとなくそうかなとは思っていたのですが、いざ言われるとびっくり・・・は特にしませんでした。
薬を処方され、現在も通い続けています。
転機となった5、6月
ここまで書いた通り、私にとって5、6月は転機となる出来事が多くありました。
さて、次回はテストについて書こうかなと思います。
実はここから、この学校のことはテストと転校について以外あまり書くことがありません(笑)
なので、わりとすぐ終わってしまうかなーと思います。
まぁ、いっか。
ではこの辺で。
読んでいただきありがとうございました☃️
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