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願望の軽さと存在の重さ-『A子さんの恋人』を読んで-

先日、『A子さんの恋人』全7巻を読み終えた。

読んだ直後はあまりピンと来なかったのだが、その後にネットでいくつかの書評を読んでみて自分なりに腑に落ちたことがあったので、ここに書き留めておきたい。

私自身「何者か(Somebody)になりたい」という願望や焦りについては過去にもnoteに書いたことがあるのだが、『A子さんの恋人』はその裏側にある「私は大した人間じゃない」という心理について考える機会を与えてくれた。

(以下、『A子さんの恋人』の具体的な内容には踏み込んでおらずネタバレ要素はないが、心配な方は読み終えてからにしていただければと思う。)

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「私はたいした人間じゃない」という考えは一言で言えば「ラク」なのだ。

私なんかいなくても大丈夫でしょ。何とかなるでしょと考えることで、他者への責任や期待から逃れることが出来る。

自分の気分が良い時には誰かと関わり一緒に活動に参加したりするが、そうでないときには「私がいなくても」といって免除が許される。自分のことを「軽く見る」というのは面倒ごとを避ける上ではとても都合が良い。

たしかに私やあなたは会社や学校、SNSの中ではSpecialな存在ではなく、大多数のうちの小さな小さな構成員のひとりかもしれない。しかし、誰しもが所属する組織やコミュニティの中でなにがしかの役割を担っているものだ。

あなたは日本代表として海外の代表チームと試合をしたり、滅びゆく世界を救うことは無いかもしれないが、明日の会議で報告資料を作ったり、学校のグループワークの一つのパートを請け負ったり、アルバイトのシフトを担っている。それと同時に誰かにとっての娘であったり、恋人、友人、親であったりする。

あなたが憧れるテレビの中の有名人ではないが、周囲の人にとっての「誰か」であるのだ。そして、そうした存在であることはすでに十分な「重さ」を持っている。時に逃げ出したくなったり、息苦しくなる程度には。

身近な関係性と責任を避けつつ、頭の中で憧れる「何者か」になるという道は存在しない。何ごとも高いリターンには相応のコストを支払わなければならない。誰かより何かで秀でるには才能に加えて苦しい練習と自己管理が、誰かとの幸せな生活には偶然の巡り合わせと確かな対話の積み重ねが求められる。

私たちの存在はそんなに都合よく、重くも軽くもなれないのだ。

これは不幸でもあり、幸いなことでもある。

A子やA太郎は、今の自分が持っている「リアルな重さ」に気がつき認めることではじめてそれぞれの道に踏み出すことができた。

私やあなたも悲観するほど軽くない。でも、夢想するほどには重くはない。だから私たちにできることは、自分の重みをまずはしっかりと受け止めること。そして望むならそれを背負って前に進むこと。その先に夢見る「何者か」の道がつながっているかもしれない。

一人だけでその重さを背負う必要はない。顔を見上げれば、あなたの重さを一緒に引き受けてくれる人がいる。けれど、全てを委ねようとしてはいけない。一人の人に二人分の重さを抱えることはできないのだから。

時には寄りかかりすぎて、またある時には椅子のように重く寄りかかられながら、互いになんとかバランスする点を試行し、模索する。この逃れようのないわずらわしいサイクルのなかで、自分が受け止められる分の役割や責任を担うこと、それが健全な自己実現であり、他者との関係性を築くということなのではないだろうか。

「何者にもなれない自分」に焦りを感じるとき、軽くない自分という存在の重さを忘れてはいけない。

最後に、参考にさせていただいた書評は下記の通りです。



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