アメリカでフィーバーする

留学するなら、体温計を持っていったほうがいい。
これはアメリカで四回発熱した私からのアドバイスだ。ちなみに私は体温計をもっていかなかったので、ここでの「発熱した」は「よくわからないが体が熱い/ひどく寒気がして頭がもうろうとして全身が痛い」状態に陥ったことを指す。私は月に一回の頻度でこの状態に陥っていた。
子どもの頃は体が弱かった私だが、雨の日も雪の日も毎日放課後にマラソンがある中学校、人呼んで「檻のない少年院」に通っていたおかげで、一年に一度熱を出すか出さないか、程度の健康は保てているはずだった。しかし、留学先ではみごとに体を壊し続けた。というとやはり留学先でのストレスが酷かったのではないか、と心配されそうだが、日本生活と比べればストレスなんてないに等しかった。アルバイトも就活もしなくていい生活なんて、天国に決まっている。
最初の月は、前述したカウボーイパーティーの翌週に発熱した。当たり前だ、普通の大学生活に加えて真夜中まで不特定多数の人間が集まる場所で羽目を外し続けたのだから。
しかし、海外生活で発熱するのは初めてではないので、そこまで不安は覚えなかった。私は大学二年生の夏に訪れたカナダ・バンクーバーでコロナを発症し、ベッドの上で一週間ほどもだえ苦しんでいたからだ。あの時は本当に、死ぬのではないか?と思った。そして、遺影にできるような顔写真がないと気づき、もっと自分の写真を撮っておけばよかったとひどく後悔した。
私は「自分は本当にこのまま死んでしまうのではないか」と絶望した瞬間をはっきりと覚えている。まるで胸の上に漬物石が乗っているような重たさ。息苦しさ。胸から暗闇の底に沈んでいくような感覚。重い瞼をあげると、そこにはホームステイ先の猫が私の胸の上から「でん」と私を見下ろしていた。

話を戻そう。その一年後、私はアメリカで寝込んでいた。
死ぬのでは?という不安こそなかったものの、ベッドの上で何もできず時間とお金を無駄にしていることがつらくてしょうがなかった。友達が買ってきてくれた薬を飲み続けながら「調子乗ってジム通いなんかしてバカバカバカ」と自分を責め続けた。
熱を出す一週間ほど前から、私は大学のジムにはまっていた。ジムでは学生なら無料で受けられるスポーツ教室が複数開講されており、ヨガやピラティス、室内サイクリングなどを片っ端から受講しまくったのだ。一週間で、である。教室のない日は身一つでジムに行ってランニングなどをしまくったので、私の下半身は臀部から足先にかけて壊滅的な状況だった。何をしても下半身がぎしぎしと痛むのだ。特に階段では手すりにつかまらないと降りられない状態になっており、階段を下りながら「ああ」とか「うああ」とか呻く日々が続いていた。筋肉バカならぬ、筋肉いじめすぎバカ。
そんな状況だったため、寝込んでいるときのこの全身の痛みが、熱による筋肉痛なのか普通に筋肉痛なのかわからず苦労した。別に分かったってなにができるというわけでもないのだが、自分がどういう状態なのかわからないのがきつかった。ていうか普通に自分が今どれくらい発熱しているのか、昨日と比べてよくなっているのか悪化しているのかわからないのも辛かった。体温計持って行けよ私。

二回目の発熱はあまり覚えていない。しかしこのころから私は、アメリカの薬をあまり信じなくなった。友達が買ってきてくれた薬は赤と緑(昼用と夜用。夜用は睡眠導入作用がある)があり、粒が馬鹿デカかった。飲み込むときに喉に詰まるのではないかと心配したほどだ。私は体調が悪くても一応授業に出席していた。あの頃は、どうしても出席しなくてはいけない、時間とお金を無駄にできない、と思っていたので、とにかく病んだ体を酷使しつづけた。寝つきが悪かったので夜用の薬を寝る前に飲んでいたが、効き目が出るのが翌日の昼だったため授業でがっつり寝てしまったことが数回ある。一回目で気づけよ、てか普通に休めよ、迷惑だよ、と思うが、今の私がそうアドバイスしたとしてもその声は過去の私に「じゃあ貴様は親の×××万円と貴重な四カ月の学びをドブに捨てるのか」とヒステリックにののしられるだろう。
アメリカの薬はデカいしマトリックスみたいでかっこいいけど、あまり効果は感じなかった。それより、日本から持って行った頭痛薬兼解熱剤のほうが早く効き、飲みやすくて正解だった。

三回目は、サンクスギビングデーの友人の実家で発熱した。この時の熱が、この四カ月で一番つらかった。寒くて寒くて仕方ないかと思えば、目が覚めたらパジャマがぐっしょりと濡れていて気分が悪く、何度も家族に会いたいと思った。友人やそのご家族にも申し訳なく、とにかく辛くて仕方なかった。11月末あたりから私のストーリーが一切更新されなくなったことに気づいた方もいると思うが、それはこの発熱と、ちょっとしたアクシデントによるものだ。しかし、このころの私は日本の解熱剤がよく効くことを知っていたので、それを飲み続けながら授業に通っていた。自分は無茶ができない人間だと思っていたが、こんな形で無茶ができるんだな、と思った。ただ、このまま留学が続いたら私は無茶を繰り返して死ぬだろう、とも思っていた。

二度あることは三度ある。三度あることは、四度ある。
四回目、私は留学最後の旅先、ニューヨークで発熱した。寝不足が続いており、なんか喉がイガイガするなーと思っていたところ、ニューヨークに向かうバスの中で気分が悪くなり、到着したころには体がぐにゃぐにゃになっていた。しかしさすが発熱四回目、解熱剤を飲めばとりあえずは機能する体になると知っているので即座に解熱剤を飲み、クリスマス間近のニューヨークを闊歩する。タイムズスクエアは広告の極彩色で息苦しく、まるでインフルエンザの時に見る悪夢のようだと感じた。
ニューヨークは、はっきり言ってあまり良い街とはいえなかった。地下鉄で尿のにおいがし、キラキラと輝くクリスマスマーケットでは大麻のにおいがする。広告が至る所にあり、どこをみても文字情報が脳に飛び込んでくる。人は無意識下でも情報を処理しているというから、ニューヨークの人は常に情報過多で脳が疲れ切っているのではないか。
でも、仲の良い友達と行ったニューヨークは最高に楽しかった。人でごった返す道を歩き、クリスマスマーケットで写真を撮り、なぜか一つのダブルベッドしか用意されていなかったホテルで川の字で寝た。
一日目はつらかったが、二日目はブルックリンブリッジ周辺を歩きまわっていたら熱が完全に下がっていた。
私の無茶が、ついに熱に打ち勝ったのだ。
もしかして、一緒にいて楽しい人たちと本当に楽しいことをしていたら、多少無茶をしても熱が出ないのではないか?
そう思って日本に帰国した私は今、久々に友達とカラオケに行ってオールをし、しっかりと熱を出してベッドの上でこれを書いている。
あ、さっきよりも熱が下がった。
体温計がそばにあってよかったと、心から思う。

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