アメリカでスマホを紛失する

アメリカ留学で一番印象に残ったことは何ですかと問われたら、スマホを紛失したことですと答える。
具体的なシチュエーションに置き換えて考えてみよう。

面接官「ほう、留学されていたんですね。留学で一番印象に残ったことは何ですか?」
私「スマホを紛失したことです」


おしまいである。そもそも、スマホを紛失したことを最も印象的な留学の記憶だと捉えてしまうあたり、スマホよりももっと大切な何かを失ったとしか思えない。

その日、私はサンクスギビングデーの休みを利用して友達の実家に泊まらせてもらっていた。前々回の話を読んだ人にはお分かりだろうが、私は友人のご実家で発熱し、友人、ひいてはそのご家族に大変ご迷惑をおかけした。発熱して2日ほど立った日、私たちは友人の実家から大学への帰路についた。解熱剤で熱を強制的に下げたはいいが、朦朧とする意識の中、スマホを見ると、現在四時半ほど。道が混みあっていなければ二時間ほどで食堂のディナーにありつけるだろう。解熱剤が切れたのか、体温が徐々に上がっていくのを感じながらスマホをしまい、目を閉じる。
それが、私がスマホを見た最後の瞬間となった。
大学に向かう道中、家族に連絡を取ろうとポケットに手を入れたら、スマホがないことに気が付いた。ポケットを探しカバンを漁り車中を探し、実家にいる友人のお母さんにまで電話してもらったが、結局スマホは見つからなかった。

それから三週間の間、私はスマホがない状態で生活することになった。当時、紛失に気付いた直後にパソコンで日本とアメリカのキャリアを中断し、当分の生活費を現金で引き出した後にスマホに紐づけされていた銀行のプリペイドカードを停止し、親と選考中の企業に紛失の旨を伝えた自分のファインプレーに拍手を送りたい。絶賛発熱中の私は留学史上最悪のコンディションであったはずだ。
しかし、全ての生活が大学内で完結する私にとって、スマホの紛失は、
①現地の時間がわからないこと
②友達に簡単に連絡できないこと
③簡単に調べものができないこと
③電話番号が紐づけされているため、大学の課題提出用サイトにアクセスできないこと 等を除けば、特に問題はなかった。ただ、なくしてしまったスマホの中に、唯一私がどうしてもなくしたくないものが入っていた。さりとあおいと私が3時間以上かけて録音したポッドキャストである。最初はBGMなどを決めて防音室で丁寧に録音していたポッドキャストが、エピソード4では雑音だらけのジムで録音されてしまったことを本当に申し訳なく思っている。いつか、失われてしまったエピソード1,2,3を取り戻したい。
しかし、特に現地時間等の問題は腕時計を買うことで簡単に解決できたし、友人に連絡できないときは他の友人を食堂で捕まえて連絡させるという逆・カントの目的の王国みたいなことをすればよかった。友人たちにも「スマホがなくても平然と過ごしているなんて度肝を抜かれた」「ちょっとかっこいいよ」などと言われて気分がよかったし、元々インスタグラムを病的なほど更新していた私にとってはよいデジタルデトックスになったと思っている。

思えば、私はSNSの世界にどっぷりとつかりすぎていた。どこに行ったのか、誰と何をして過ごしたのかを記録することにやっきになっていたし(日記を書けるほどまめではないので瞬間の備忘録のように更新していた)周りの友人がどう過ごしているのか気にして、自分と比較してしまい落ち込むこともあった。SNSを見ない・更新しない日々は私にとってそんな自分から解放される時間でもあり、私はある日こんな気づきを得た。

自分の人生は自分の目の前にしかない。

きッも…。と思われた方はこのページを閉じて海外に行き、そこでスマホを川にぶん投げてみてほしい。本当に、自分の人生は自分の目の前だけで進行していることがわかるからだ。たかがスマホをなくしたくらいで人生の矜持を語るような人間を信頼できるはずがないとは思うが、どうか信じてみてほしい。そして川に。スマホを。沈めて。
スマホをなくした私が感じたのは、自分の人生は日本にもインターネットの世界にもない、全て自分の目の前にある!ということだった。不思議だ、留学に行く前は私がアメリカについた後も日本では自分の人生が粛々と進行し、アメリカにいる自分も自然とその影響を受けるような感覚があった。しかし、アメリカの生活に慣れ、スマホの世界からも旅立った私が感じたのは、自分の人生はせいぜい自分の半径5m以内でしか展開していないということだ。会いたい人がいれば会いに行き、やりたいことがあればやる。他人が、自分が所属する社会がどうしているかなんて気にせず。そのシンプルな世界の中で、私は本当に自由だった。

スマホをなくした私はきらきらした新しい腕時計を見る楽しみを覚え、食事の際に周囲の人の会話に耳を澄ませる楽しさを知った。そして、どうしてもベッドで寝ころんだままネットフリックスを観たくてパソコンを横に立てておくときの首のつらさを知った。
スマホを使わない生活は新鮮で楽しかったが、それが一週間ほど過ぎたある日、わたしは自分がスマホを持っていないことに耐えられなくなった。
雨が降ったのだ。
私は留学してから2カ月ほど経った頃、日本から持ってきた折り畳み傘をなくしていた。色がお気に入りでよく使っていたが、そもそもアメリカでは皆あまり傘をさしていなかったし、買うと高くつくので留学中はマフラーとダウンで雨を防ごうと思って買いなおさなかった。
また、スマホをなくして何日かして、私は数日前に停止したプリペイドカードが、携帯番号に承認コードを送らないと再開できないことに気づいた。新しいスマホを買うにはカードを使わなくてはならないが、そのカードを使うにはスマホがいるという鶏卵的事実に向き合い、私はいったんそれを見なかったことにした。
そんな矢先、町に雨が降った。
その日は夕飯時まで授業があり、冬を迎えた大学は冷たい雨に打たれて暗く沈んでいた。私はパソコンを開いて友達に夕飯どう?と訊く気力もないまま、マフラーを結びなおして食堂までの道を歩いた。思ったよりも激しい雨で、マフラーがびしょぬれになって色が変わり、伸びた前髪からぽつ、ぽつ、と鼻先に水滴が垂れてくる。寒くて、水滴のせいで前がよく見えなくて、よく考えたら私はお気に入りの傘をなくしてしまったし、スマホがなくて誰にも連絡できないし、よくよく考えたら銀行のカードも停止されてしまった。そこで私は二つめの気づきを得た。人間、傘か、スマホか、カードのどれか一つは持っていないと、とてもみじめな気持ちになるものだ。人生に必要なものなんて傘かスマホかカードしかなかったのに、私はそのすべてを失ってしまったんだと耐え難い気持ちになった。

その後、手持ちの現金でスマホを手に入れるべく、私は大学内のアップルストアを訪れたり(そこにはスマホの取り扱い自体がそもそもなかった。おっちょこちょいな学生のために替えのスマホの一つも用意しておかないなんて不親切だと思った)プリペイドカードを再開するためパスポートを持って町の銀行を訪れた挙句、携帯番号がないと本人確認ができない、とパスポートの存在意義を疑うことを言われりした。再開はできず、一週間後に新しいカードが届くことになった。
しかしその後、私はアメリカの大型スーパーWalmartで無事予算に合った機種(8世代型落ちGalaxy)を見つけ、念願のスマホを手に入れた。スマホに読み込ませて使うeSIM(アメリカの携帯番号付き)も届いたしこれで一安心だ、と思って胸をなでおろしながらスマホを起動させ、eSIMのQRコードをスマホに読み込ま____________________ない?

私の予算に合った機種(8世代型落ちGalaxy)は、8世代型落ちのためeSIMに対応しておらず、物理SIM(本体に挿入して使う)が必要になった。それが届くまで約一週間。その間、私は薄くて軽くてちょっと性能の良いカメラを手に学校内を闊歩することになった。現地時間を確認することもできたし、大学内であればグーグル検索をすることもできた。

その後物理SIMも無事手に入り私の快適なスマホ生活が幕を開けたが、なくしてしまったスマホと同時に私は様々な気づきを得て一回り成長し、それと引き換えに留学の思い出に仲間との友情や挑戦するやりがいなどと答える心のきらめきをなくしてしまった。それでも私はスマホをなくして得たすべての瞬間が唯一無二で、貴重なものだったと自負しているが、どうだろうか。気になる方は、一度海外に行ってスマホを紛失してみてほしい。きっと思いもよらない気づきを得られるはずだ。

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