そして私たちはさよならをします

私はたった一学期間だけ、マサチューセッツ大学に留学していた。
なぜ私は一学期だけの留学を選んだのだろうか。これにはちゃんとした理由がある。しかし、留学してからの私は常にこの選択を悔やんでいた。
留学の四か月は、短すぎた。英語力もそうだが、海外での生活に慣れ始めたタイミングで帰国しなくてはならないのは、なんというか、おにぎりの具が見え始めた段階でそのおにぎりを何者かに強制的に取り上げられたような気持ちだ。しかしこの場合はその何者かが過去の自分なのだから、どうしようもない。

【帰国一か月前】
留学ものこり一カ月になると、周りが如実に別れを意識し始める。一緒に食事をしていると「日本に帰っても連絡してよね」と泣かれたり「この大学で一番恋しいものは何?」と尋ねられたりする。私の場合、それは友達だった。たった一学期間の付き合いだというのに、友人たちは私に本当によくしてくれた。風邪をひいていたら寮まで薬や布団を届けてくれたり、なくしたスマホの中に留学で学んだ語彙のメモがあったのに、と私が落ち込んでいると「一緒に作り直せばいいよ!」と言って新しく言葉を教えてくれたりした。ありがたいことに、ちょっとした食事に誘える友達がたくさんできた。そんな人たちに、別れを告げるのは本当に惜しかった。しかし、その悲しみは一度すでに飲み込んだものだった。

【帰国二か月前】
留学ものこり二カ月になると、自分だけが急に別れを意識し始める。アメリカに来て二か月、大学にも慣れ、英語にもようやく口が慣れた。しかし、二か月後私はここを去るのだ。秋が深まった大学の景色に足をとめ、急にふと「留学生活の最後の夏を見逃した」ことに気が付いた。寂しいものだった。並んで歩く友人たちの背中を見ながら「一年後の彼らの生活に自分はいないんだ」と実感し、寂しくて寂しくてしかたなくなった。彼女らはまだ大学一年生だ。これからたくさん勉強し、遊び、大学生活を謳歌していく。その四年間に、もう私はいないのだ。彼女たちは私を忘れるだろう。そして私も、日本で仕事に就き、仕事に追われ、彼女たちを忘れていくのだ。まるで季節が移り替わるように、当たり前のように、自然に。だから彼女たちと過ごす時間が、もう絶対に戻ってこない季節のようで切なくてひとりで泣いた。彼女たちに忘れられることも、自分がこの時間を忘れることも悲しくて号泣し、涙で濡れた顔面があまりにひどすぎたのでひとりで爆笑し、何も知らない彼女たちと一緒に寮に帰った。

【帰国一週間前】
別れの言葉は、まるで一週間後にでもまた会うかのように軽やかに言ったほうがいい。「じゃあね!」の言葉が、本当に最後になってしまうんだろうなと思いながら軽く手を振るのは、寂しさを通り越してむしろすがすがしいからだ。そうやってたくさんの友人と別れ、いつのまにか食堂で食べるごはんにも別れを告げていた。食堂が閉まってしまった冬休みの間の食事は、大学内に残る留学生たちにとって死活問題だった。寮内共用の冷蔵庫から幾度となく食べ物が盗まれ、「人の金で食う飯はうまいか?」など書かれた張り紙のある殺伐としたキッチンで料理するのは正直気まずかった。当時私は友達の寮に居候しており、友達にちゃんとした食費を収めたことはなかったからだ。人の金で食う飯のうまさを知ったので、Sylvanの皆さんは帰国後私に飯をおごられてください。
寂しさを感じながらも、私は着々と別れる準備を進めていた。帰国の準備ではない。自分の好きな人たちに、気持ちよく別れをつげるための準備だ。その一つが、友人たちにサプライズで手紙を残す、ということだった。大学から30分ほどバスに乗った先にNorthamptonという小さな町があり、そこにスケッチブックとクレヨンをおいたThe Roostというカフェがあった。(今この文章を書きながら、私はそのカフェの名前が何だったのか思い出せずスマホを開いた。寂しさは、そよ風のように突然、私を襲う。)私はひとりでその町に出かけた時、そのスケッチブックに友人たちの似顔絵と、一ページ分にわたる別れの手紙を書くことにした。そして帰国当日空港まで送ってくれる彼女たちに、たった一言「The Roostに行ってスケッチブックを開け」と書かれた便箋を渡すのだ。五人分の似顔絵を描くのに思ったより時間がかかってしまったが、自分がいなくなった後にこのページを開く彼女たちの表情を想像すると、とてもたのしいものだった。
きちんと準備をすれば、明るい気持ちで別れられる。そう思いながら、カフェの店員に「事情があるのでこのスケッチブックをしばらくの間保管しておいてもらえないか」と伝えた時、とても滑らかに口から英語が流れることに気づいた。

【帰国一日前】
ボストン・ローガン国際空港まで送ってくれる友人たちと一緒に、大学からボストンまでやってきた。ボストンは本当に良い街だ、もし住んで仕事するならここが良い、と思いスマホで「ボストン 日本人 求人」と検索したら、ラーメン職人と寿司職人しかヒットしなくて都会の日本人需要のストライクゾーンの狭さにめまいがした。秋に行ったボストン旅行をなぞるように観光地を回り、なぜか授業を受けたこともないMITの校舎の前でふざけたポーズをして写真を撮り、それをまるでMITに留学した人かのように「みんな本当にありがとう!留学本当にたのしかった☆」みたいなストーリー投稿に使ったりした。印象操作が過ぎる。
ボストンの街を歩きながら、何度も「日本に帰るなんて嘘みたいだな」と思った。この十数時間後、自分が日本にいるなんて本当に嘘みたいだった。そう思いながらふとアメリカ国旗の並ぶ街を見上げると、ここで過ごした四か月が、すべて幻のように感じられた。
アメリカ最後の食事は、なんと中華料理だった。何を隠そう私はアメリカで中華料理にドはまりし、一週間に三度中華料理店に行っていたこともある。この夜は皆で中華鍋を囲み、おいしいけどこれ飛行機の中でめちゃくちゃ鍋くさいだろうな~!と切な申し訳ない気持ちになった。お鍋は本当に美味しかった。皆あまりの美味しさと疲労にずいぶん長いこと黙りこくって食べていたが、そこで私の腹の限界が来た。この後の長時間のフライトへの緊張と、中華鍋の香辛料の強さがデリケートな腸を直撃したみたいだった。
一言も発せない状態でトイレにこもっていると、急に寂しさが湧きあがってきてそのままお尻丸出しで泣いてしまった。トイレットペーパーで涙をぬぐいながら、何度も「会いたかった」と呟いた。会いたかった。ずっと会いたかった。別れる時に寂しくてたまらなくなるような人たちに、私は出会いたかったのだと、その時気づいた。
わたしは短い留学期間で、そんな大切な友人たちを得たのだった。

空港につき、疲労困憊の状態で皆と涙の別れをして、飛行機に搭乗した。
本当に私の留学が終わる。ああ、楽しかったな。部屋から三回閉め出されたりタイツを全部なくしたりスマホをなくしたりしたけど、本当に、心から楽しかったな。
窓から夜明け前のアメリカの景色を眺める。しみじみとした思いで目を細めて、気づいた。
全身から、中華鍋のにおいがするな、と。

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