ミドルオブノウウェアにやってきた

私の大学は田舎にある。大学を中心として町が形成されているためか都会と比べて娯楽が極端に少なく、学生たちに「ミドルオブノウウェア(意訳:まじでなんもない)」と呼ばれている。正直、私も初めてここに来たときは、大学内の潤沢な設備に比べ、大学外に出ると娯楽と言える娯楽(日本人目線だと、カラオケとか)がほとんどないことに少なからずがっかりした面もあった。
では、この大学で私はどんな経験をしたのか。先ほどのトピック「インターンシップで爆睡」でかなりの分量を使ってしまったので、ここからは簡潔に個人的に面白かったことを列挙する。

・キラキラ留学生活?


私のインスタで見るキラキラした留学生活は実際の大学生活の2割ほどに過ぎないと思ってほしい。ほとんどの場合、私は図書館かstudent union(学生の勉強場所)かIsenberg(ビジネス専攻学生の勉強場所)にいる。図書館とstudent unionが十一時まで、Isenbergが24時間開いているため、テスト期間はそこにこもって朝の二時まで勉強することがほとんどだった。500ページの参考文献を泣きながら読み進め、100ページ読んでもintroductionが終わらなくて鼻水を垂らしたりした。しかし、直感だけでなんとかできあがってしまうレポートや、その場の機転だけですべてをなんとかしていたプレゼンなど、個人学習に重きをおけていなかった日本での大学生活と比べると、基礎からじっくり学ぶことの楽しさを思い出せて充実した時間だった。特に私が楽しんで受講していたのが「社会におけるコメディーとユーモア」という、初回講義から教授がfu*kingとかmother fu*kerとかのたまう授業。人が何を面白いと感じるのか、タブーを扱う笑いはどこまで受容され得るのか、恐怖とコメディーの近接性など、とにかく興味深い授業だった。

・日本語チューター


せっかく交換留学生として海外に行くので、日本人として現地の学びに貢献したいと考え、日本語チューターをやってみた。日本語が堪能でない学生に少しでも日本語を楽しく学んでもらおうとゲームを準備することがすでに楽しく、チューターとしてだけではなく友達として学生に接し、一気に友達が増えたことも嬉しかった。

・言語の壁


と言っても、日常の会話の九割以上は英語が占めているのでいやがうえにも言語力の壁にぶち当たる。正規留学生の友達に「りりこは時々バッファリングしている」とからかわれたり「りりこは英語が上手じゃないからちょっとした言葉もかみ砕いて教えてあげないといけなくて疲れる」と言われたりしたこともあった。初めて会った相手に「君の英語はいいと思うよ、文法と発音と語彙力を上げたらね」と言われて「それは…全部ですね!?」と叫んだこともあった。悔しかったし、短い間で成果を出さなければと焦った。でも、ある人に「君の英語はクリエイティブで良い。新しい視点で物事を創造的に表現している。ネイティブの自分にはできないから羨ましい」と言われたことが、完ぺきでなくてもいいから、自分の見える世界を言葉にすることの大切さを教えてくれたように思う。ちなみに、苦労した発音はCalifornia rollとoats milkです。あと、初めてひとりでカフェに行ったときにCan I have a carrot cupcake?のCの多さに混乱して「私はにんじんです」と話し始めてしまったことがあった。悔しさと恥ずかしさは、今でも感じる。自分の英語に厳しすぎる、と言われることもあるが、自分で得意だと思って留学したからこそ悔しいし情けないと思った。
こんなこともあった。
語学学校と違い、大学では若者の使う流行り言葉を知る機会が多くなる。
その日私が新しく知ったのは、dead ass?という「まじで?」という意味で使われるスラングだった。直訳して死んだ尻の穴。アメリカのスラング、特に悪い言葉は肛門系に言及することが多く、肛門科の医者はカルテを読みながら無意識に悪口を言ってしまわないのか純粋に気になる。
死んだ尻の穴(=まじで?)、に似て悪口で使われるスラングに、damn ass(クソ野郎)というものがある。ここで伏線回収フラグがたつ。
私は友達とおしゃべりをしながら、新しく学んだスラングdead ass?(=まじで?)を使おうと機会をうかがっていた。
まだかな、いつかな、友人が「てか、最近俺さ」と話しだす、来た!

「(うきうきした表情で)damn ass?(=クソ野郎)」

一瞬場の空気が凍ったが、幸いそれを使った相手はその日私にdeadass?を教えてくれた男の子だったので、大爆笑を買ってその場を収めることが出来た。
意図したわけではなかったが、言語力の壁は、時には笑いをとるための踏み台になったりもするのである。

・ポッドキャスト・エピソード4


私達のポッドキャストはエピソード4から始まる。
留学生活を楽しいものにしてくれた要素の中に、そこで出会った日本人留学生との交流がある。日本語チューターとして出会った私たちは、現地の学生とお好み焼きパーティーを開いたり、クリスマス会をしたり、楽しい時間を過ごした。
とくに、あおいとさりという行動力と好奇心の塊みたいな子たちがいて、その子たちに誘われてポッドキャストを始めたことは、本当に良い思い出になっている。
ポッドキャストでは、日本大学と海外大学との違い、留学に必要なモノ、勉強の仕方など、自分たちが留学をして感じたあれこれが詰まっている。
学期のはじめに3エピソードほど録音したが、現在、これらのポッドキャストは永遠に聞くことが出来ない。
なぜ3時間以上かけて録音したエピソードが消えてしまったのか、なぜ私たちのポッドキャストがエピソード4から始まるのかは、おいおい説明する。

・人の恋愛関係に肩まで突っ込む


自分の恋愛はさっぱりだが、他人の恋愛話はいつでも新鮮に面白いし、聞いていて楽しい。
アメリカに来て数カ月、恋愛相談をされることが多くなった。私が所属しているグループの中で恋をしている人とされている人がいて、私はそのどちらとも友達だったため相談に乗ることが多かったのである。この文章からもわかる通り、残念ながら二人はうまくいかなかった。ただ、うまくいった、いかなかったは関係なく、英語で人のパーソナルかつセンシティブな相談にのることが出来たという達成感はすさまじかった。今皆さんの中で私に対する評価が急激に下がっていっているのを感じていますが、あーっ!ページを閉じないでください。
二人はうまくいかなかったが、それでも私は二人がうまくいくことを望んでいたし、二人がお互いの考え方を理解するための助けになれたら、と思っていた。シンプルにおこがましい。
こんなこともあった。
他の友達が、また別の友達に恋をしていた。そして、その子はサンクスギビングという11月末にある祝日に、先述した二人とその子の好きな相手、そして私を招いて実家で一緒に過ごそう、と誘ってくれたのだ。
没入型テラスハウス(日本で一世を風靡した恋愛リアリティー番組。年頃の男女が一つ屋根の下で生活し、恋愛相手を見つける)のお誘いに、私は色めきだった。
広い家の中で、いったいどんな策略、心理ゲーム、胸キュン展開が待ち受けているのであろう、そして私は一視聴者としてそれを目撃するのだ。楽しすぎる。はやく続きがみたい。
結局そのお誘いは流れてしまい、私はサンクスギビングウィークに留学三度目の発熱に見舞われることになる。

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