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他空派の宗論②

本文に入る前に、
いくつか説明しておいた方が良い言葉がある。

まず、円成実性(えんじょうじっしょう)
依他起性(えたきしょう)
遍計所執性(へんげしょしゅうしょう)
の三語である。

仏教唯識派の教えの中で使われる言葉が、
ここでも使われている。
これらに対する唯識派の解釈と中観他空派の解釈には異なる部分もあるので、
注意が必要だ。

円成実性(えんじょうじっしょう)は、
チベット語を直訳すると
「完全に成立した(yongs grub)」といい、
円満成就している究極の実体(性)という意味。
これが勝義(究極の意味)、空性、真如、法界などに当てはまる言葉として使われている。

依他起(えたき)は、
チベット語を直訳すると
「他力(gzban dbang)」といい、
他の力に依って起こった性質を持つもので、
原因や条件によって起こったものを示す。

遍計所執(へんげしょしゅう)は、
チベット語を直訳すると
「全て結びつけられた(kun btags)といい、
自らの実質がないことから、
全てが(遍く)思考によって結びつけられて(計られて)設定された、思考(執)の対象(所)である。

本文に入る。

第三項[その定義]は、「中観であり、円成実性である不二の智慧は本性において自らの本質が成立していると承認し、依他起・遍計所執に収められる諸法は本性において自らの本質として成立していないと承認する者」が、第三法輪に後続する中観派の定義。事相は無着師弟のごとくである。

「不二」とは、
主体と客体の二元が無いこと。
「諸法」とは、
諸々の法(現象・ものごと)の意味。
「事相」とは、
定義が当てはまる具体的対象のことである。

非常に簡単にいってしまうと
「全ては空性であると主張する中観派で、
究極の真実である空と不別の(主客二元のない)智慧は本当にあり、
原因によって起こったもの・思考のみによって作り上げられた対象は、その本質として成立していないと言っている者」
具体的な例は無着、世親など。

ここで注目すべきは、
自空論者の中では唯識派と認識されている世親が、中観派としてあげられていることである。
見解の違いが、ここでも現れる。

第四項[名の説明]は、空の拠り所である不二の智慧は、自らの方から空(欠如しているの)ではなく、他である「客体・主体(の二元)」などすべての戯論が原初から欠如している。
そして、世俗である「発生したもの」に収められる諸法は、他である勝義の本質が欠如している上に、(更に)世俗の自らの本質も欠如していると説く故に、「中観他空派」という。

「戯論」とは、
チベット語を直訳すると
「放たれた・発された(spros pa)」となり、
主体である意識(一元)から放たれた
主客二元や、そこから派生して起こる
全ての思考・概念に当てられる。

「放たれたもの」には、
主体・客体の二元として放たれたもの
実体視として放たれたもの
概念作用(思考)として放たれたもの
などがある。

「発生したもの」は、
チベット語で直訳すれば
「突然のもの(glo but ba)」。
原因や条件が揃うことによって
以前には無く新しく(突然に)発生したものという意味で、「発生したもの」と訳した。

全ての存在は空性であると主張する故に
「中観」。

存在は勝義と世俗に分かれるが、
勝義(空性と不二の智慧)は、勝義とは別(他)の主客二元性などが欠如しているので「他空」。

世俗は、世俗とは別(他)の勝義が欠如していて、更にそれ自体の本質も欠如しているので「他空」という言葉が当てはまる。
故に、そのように主張する者達を
「中観他空派」という。


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