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ナコ②~ナコ僧院~

ナコ僧院を初めて訪れたのは、到着日の午後だった。
その前にナコ湖散策は終わっていた。

ナコ僧院は、村で湖とは反対の端にある。
古い村のインフラによくあるように、車が通れる道に沿っていくと村を大回りしなければならないので、住宅地の間を通るほとんど行き当たりばったりの、ショートカットを行くことにした。
しかし、家の並びに沿って見当違いの方向に向かってしまい、結局本来のショートカットの3~4倍の時間がかかった。

石と土と木でできた昔ながらの家々やウシを飼う囲いと、その中にいきなりコンクリートで平らな壁をもつ家が建っていたりする。
所得の格差も目に見える村の様相だった。

とにかく僧院に着いた。

僧院の所有する土地はある程度広いけれど、ここも古い僧院と新しいお堂は離れて建てられていた。

古い僧院は土塀で囲まれていて、木の門があり、中からカギがかけられていると入れない。
そこに常駐のお坊さんがいれば基本開いている。

閉まっていて帰る人ももちろんいるのだが、
門の左に伸びる塀の端が終わる仏塔のある場所によじ登り、そこから敷地内に入ってカギを開けるという非常手段もある。
お寺で遊んでいた幼い兄妹がやっているのを見て覚えたサバイバル・スキルである。

ナコ僧院も、ロツァワ・リンチェン・サンポが創設した僧院だ。
当時建てられた僧堂は赤く塗られており、今も残っている。
しかし訪れる人が少ないせいか、保存、手入れをすることが難しいらしい。

お坊さんに頼んで鍵を開けてもらい、参拝することはできるが、
壁画は随分剥がれてしまっている。
歴史的な価値をあまり気にしない村人達が、触ったり剥がしたりしてこうなったのだと、お坊さんは教えてくれた。

古いお堂は2つあり、双方ともに暗く、写真撮影も禁止だった。

ここにいるだろうと思っていたターラー母尊も、見当たらなかった。

お坊さんは新しい方のお堂も参拝させてくれた。
法皇様がいらして法話をなさったという。
お堂の前は広く開けた駐車場のようになっていて、実際広場の端には数台の車が止まっていた。村の集会広場になっているような印象だった。

さて、現在のナコ僧院に常駐するお坊さんは2人である。
マナリにある大きなニンマ派僧院から派遣されてくるそうだ。
1年で任期が終わり、毎年入れ替わる。
法要をする時には、周囲の村に住むお坊さんに応援を頼む。
そういえばタボ滞在中に、ナコで法要があるからといって出張中のお坊さんがいた。

我々を迎えて下さったお坊さんは気の良い方で、チベット語で話ができることを喜んでくれたのか、いろいろ教えてくれた。
彼は若いもう一人のお坊さんと一緒に、ナコに勤めている。
2人だから手が足りないことがある。
常に1人は寺に常駐しなければならないから、等々。

「ツァンパ(麦焦し)を売っている店がありますか?」と尋ねると、ナコでも皆自家製なので、売っている店は無いという。
「村人が(お寺にお供えとして)持ってきたものがあるから。」といって、1キロほど分けて下さった。
お湯を飲みながら頂いたローカルの生杏も、甘くて味が濃くて、とても美味しかった。

ナコの僧院は、ソマン・リンポチェという方が座主をなさっているそうだ。
リンポチェご自身はマナリのニンマ僧院におられ、8月末のお誕生日にナコ僧院を訪れる。その時には大きな法要とお振舞いがあって、村人総出でお祝いするという。

お寺は村の中にあるけれど、分院が近くの山の上にある。
歩いて30分(実際は1時間)ほど。
斜面に幾つか白いストゥーパが並んでいるところ。

「参拝してみたい」というと、
少し考えて、
「明日の朝10時に来れば、一緒に連れていくよ。」
と言って下さった。

更に「ソマン(地名)」について、少し訊いてみた。
座主のソマン・リンポチェの話が出たからである。

話は旅行前にさかのぼるが、「ソマン」という地名は古い友人から聞いていた。
「ナコに行くのであれば、グル・リンポチェ(チベット仏教ニンマ派の開祖)の聖地、ソマンへ行けるかもしれない。」

Youtube動画にも、ソマンへの訪問ブログが幾つかあがっていた。
ナコ村の人々とともにソマンへ行った若者が撮影しており、
ナコからタシガンまで1日歩き、そこで1泊。タシガンからソマン、更にその先まで行って、帰って、タシガンでまた1泊。翌日タシガンからナコへ帰る、という行程の動画だった。

その話を聞いた時、筆者は「ソマン」という名前に何故か心が魅かれたが、
同行の友人がこれほどマウンテン・トレッカーだということを知らなかったので、
『女の子のお友達が一緒だから無理かな~』
なんて訪問を諦めていた。

タボの図書室で知り合ったCさんも、ソマンへたどり着くまでの経験談を色々話してくれた。
彼らは確か3回トライしている。
1度目はナコから、タシガンへすら辿り着けなかった。
2度目はタシガンへ着き、1泊し、翌日(聞いた理由は忘れたが)ソマンへ行けなかった。
3度目にしてやっとソマンへたどり着き、ソマンの小さな寺に併設された建物に1泊し、帰りはタシガンからヒッチハイクで帰ってきたそうだ。

筆者にとって、先の分からぬ道を果てしなく歩き続けるような印象のストーリーであった。

筆者が慄き始めていた一方、
ナコに到着した時には、友人は筆者より格段に体力と登山の経験があることが判明していた。
彼女の方が「ソマン行こうね!」と無邪気に元気に望むほどになっていた。

さて、お坊さんの話によると、
ソマンへは、昔は全行程を歩いて行ったので、往復で数日かかったけれど、
今は途中のタシガンまで車で行って、そこから歩いて3時間ほど。
1日で行って帰ってこれる。

えっ⁈そんなに楽なの⁈
自分でも目がキラキラしてくるのが分かった。

お坊さんは、「ソマンへ行くなら、もう一人の常駐お坊さんを助けに連れて行っても良いよ。」とも申し出てくれた。
ソマンへの道案内が現れたと、我々は心躍った。

そこへ、もう一人のお坊さんが地下の厨房から階段を上ってきた。
丸い童顔の鼻の下にちょび髭をはやした、若くて背の高い純朴そうなお坊さんである。

先輩のお坊さんが彼に訊いた。
「おまえ、ソマンに行ったことあるか?」
「無い。」
「・・・・・」

もし行きたいと思ったら、一緒にソマンへ行きましょう。
ということにして、
お礼を言って、その日は僧院をお暇した。

明日の朝10時には、人里からちょっと離れた、山の中腹にある分院へ登っていく。

つづく。


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