デレラの読書録:吉田裕『アジア・太平洋戦争』(シリーズ日本近現代史第六巻)
わたしは平成生まれで、戦争の記憶は無い。
さらに言えば、ベルリンの壁崩壊よりも後の生まれなので、冷戦すら歴史の教科書の出来事である。
そういうわたしたち世代は、かの戦争をどのように学ぶことができるのか。
わたしがアジア・太平洋戦争を知るということは、本書の「はじめに」で書かれてるように、直接経験していないことを想像することである。
なぜアジア・太平洋戦争が起きたのか。
意志決定のプロセス、国際情勢、その頃の政権に対する民衆の感覚、戦局、敗戦まで流れ。
それらを本書を読みながら想像する。
終始、国のトップ達は戦争の大目的を絞ることができなかった。
確かに、戦争という大事業をコントロールすることは難しいだろう。
生活感覚や会社員感覚においても、何かのプロジェクトを当初の目的に合わせて完遂することは難しい。
途中で目的を見失ったり、そもそも目的無く始めることが多い。
とは言え、戦争というプロジェクトのコントロールは難しい、という理由で何かが免罪されることはない。
それぞれの国が、国という単位で生き残り戦略を考える時代だった。
むしろ国家間の外交で、大局観や目的を見失ってはならないだろう。
生活感覚とはレベルが違うのだから。
アジア・太平洋戦争における戦争犯罪とは何だったのか。
本書では国際法上の違反を指摘している。
宣戦布告無き真珠湾への攻撃は、明治期に調印した「開戦に関する条約」を破っているとされる。
あるいはプロセスの問題が印象に残った。
議会や閣議の軽視、敗戦時のエビデンス焼却など。
経緯を記録した公文書が無くなることによって、責任の所在を想像するのは難しくなる。
一方で、戦没者についての想像は膨らむ。
まずはその数だ。
厚生省によれば日本人の戦没者は約310万名(p.219)であるとされる。
外国人の戦没者は1900万名を超えている。
主にアジア圏での死者である。
万をゆうに超えた数は想像を絶するが、しかし同時に、ひとつひとつは固有名を持った人間であったと思い至る。
違う言語、違う生活を生きる個人を想像する。
きっとご飯を食べたり、運動したり、少なからず穏やかな日々があったはずだ。
あの戦争で個人の生活を蹂躙された人間が、それだけ存在したのだと。
現在も、世界のどこかで戦争が行われている。
大義があろうと無かろうと、当初の目的に合っていようと無かろうと、生活が蹂躙されてしまう、しかも何千人何万人という単位で、それが戦争なのだ。
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