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身体の「実存」に立ち戻れる呼吸法

プロローグ:追伸  身体の実存にたち戻れる呼吸法
(この部分は本来原文では、エピローグとして準備したものであった。しかし査読いただいた方に、この部分は分かりやすいのでプロローグでもいいとの指摘があった。納得するところである。そもそもnote発信ではエピローグなどない。追伸として加えることにする)
 
 
●「不思議」なメソッドであるが、我々の身体の「実存」にたち戻れる呼吸法がある
本書を執筆した最大の理由がここにある。身体の実存感覚!
30年間本呼吸法を実践して、毎回毎回面白い。
他のスポーツや、フィットネス・トレーニングとは全く別の世界がある。
こうした身体の「実存感」に立ち戻ることができる訓練は、コンピュータ化、仮想化(バーチャル)が進行する近未来の世界にとって、大きな意義があると予想できる。
 
しかし、それが思うようには社会に浸透しない。
その最大の理由は、「何を稽古しているのかわからない、理解できない」という意見である。
そもそも身体操作であるのに、現場の医師が理解できない。
あるいは看護などの医療職、あるいは子供達を育てる教育職、こうした方々にとって、西野流呼吸法の稽古で行うメソッドが、既知の方法論からは理解できない。
 
この壁をヒシヒシと感じている。
 
本noteはこの点から、初心者が最初に感じる「不思議」という面を重視し、その背景に何があるのか、探索する気持ちで筆を執っている。
 
世界中に存在するスポーツ、フィットネス、マッサージ、舞踊(バレエ、フラダンス、日本舞踊など)、また古来から伝承のヨガや太極拳などを見渡しても、「足芯呼吸」という身体awareness法、「華輪」などの全身脱力法、そして「対気」という二人の身体感覚交流法が代表する、西野流呼吸法のメソッドに同等なものは世界に存在しない。
したがって、それに何の意味があるのかは、自分で考える以外にはない。
文字通り「探索(exploration)」である。
(その後、「推手」等、太極拳稽古にも二個体間Signaling現象があることをYouTube動画で知った。詳細は「呼吸臨床」連載の第11回2)を参照、リンク、https://kokyurinsho.com/focus/e00091-2/
 
本noteにおいて、「足芯呼吸」という身体awareness法は、現在も研究の進む脳のbody mapという点を取り入れて、考えた。
こうした脳内シミュレーションとは、当然地球上の他の動物にも運動の基盤として、共通して存在する事象であるだろう。神経学の教科書にもその図が記載されている。
このシミュレーション訓練は、現実に身体を動かす局面において、脳と身体が相互的に築き上げる普遍的なメカニズムであるのでないか?
それは赤ん坊が立ち上がり、走り始めるまで、毎日毎日身につけ、大人になると忘れ去っていることでもある(参考;直立二足歩行の人類史、ジェレミー・デシルヴァ、文藝春秋、2022)。
 
さらに「対気」という不思議な稽古は何をやっているのだろう?
ここにも大きな誤解がある。一見武術的に見える点である。
しかし、これもまた世紀が21世紀に入る頃、脳内の重要なシステムとして、mirror neuron systemが解明され始めた。
 
この新発見された神経細胞の考え方は、我々が他者を理解できるのは、他者の動作を自分の中でシミュレーションできるからであるという点が斬新である。
ここに他者との交流の基盤が存在する。
そして、他者の行動をシミュレーションできるのは、自分自身の中にしっかりとしたbody mapがあるからである。
すなわち「足芯呼吸」と「対気」という不思議な稽古はここに結びつく。
 
ではもう一つの不思議な稽古である「華輪」は何を意味するのか?
なぜ脱力が必要か?それはmirror neuronによる他者への想いが、実際に他者の身体の中で作用する媒体を準備することになるのではないか?
それが、ルネサンス以降の現代医学がでは付属物としてしか取り扱われなかった、脊椎動物の身体システムである「腱・筋膜系(myofascial system)」であり、このシステムが十分に機能するためには、筋や関節によけいな力が入らない、すなわち脱力の訓練が必要になる。
(追記:この点は2021年新たに、LMC(lateral motor column)/MMC(medial motor column)など神経細胞柱の連携があると理解した。詳細は西野流呼吸法総本部のYouTube、Powerpoint録音第2回を参照、リンク、https://www.youtube.com/watch?v=3xzovhzQ-aM
 
ここにようやく、三つの「不思議」な稽古が、近未来医学的に三位一体のように結びつく構造が理解できる。
「足芯呼吸」におけるbody mapの強化、「華輪」における脱力訓練を通しての生きた身体の腱・筋膜系(myofascia)の活性化、そして「対気」によるmirror neuron systemも関与する相互認識。そこに生ずる相手への想いが、実際に相手のbody mapとmyofascial systemを通して衝撃となる。
(追記:Fasciaという聞き慣れない言葉に関しては、「呼吸臨床」連載の中で述べた。詳細は、第4回に序論として(リンク、https://kokyurinsho.com/focus/e00058/)、第5回Fascia医学、Anatomy Train(リンク、https://kokyurinsho.com/focus/e00066/)等を記した)
 
結論として、「不思議」な稽古というのは、20世紀までの医学的理解では不思議であるが、むしろ今から始まる21世紀医療では、自身の身体の「実存感」訓練として、こんな先端的で、合理的なものはないということになる。
 
 
●西野流呼吸法「対気」に見られるnon-verbal communicationの意義
相手との意思疎通には、相手の行動を自身の内部でシミュレーションして理解するというmirror neuron systemが存在する事は先に述べた。またそれが相手との共感、non-verbal communicationにも関与しているかもしれない。
我々ホモサピエンスは「言語」と言う概念化した表象を持つ。これを使って、verbal communicationが可能である。

しかし我々のゲノムに1~3%が混血しているネアンデルタール人は、non-verbalであった可能性が示唆されている。発声に重要なFOXP2遺伝子は全ゲノム中のホモサピエンス部分にあることからも予想されている。
それでは現生人類の前の多数のhominid(化石人類)は何をどうcommunicationしていたのか?
そしてそのnon-verbal communicationの能力は、我々の中にも潜在的に残っているのでないか?
 
西野流呼吸法「対気」の稽古をしていると、みかけ上は、相手を飛ばし、飛ばされるだけのように見える。実際、稽古を続ける人の中には、こんな飛ばしあいをしていて何になるのかと、稽古を一時的にやめる人もいる。
 
しかし「対気」におけるイメージのやりとりは、先に述べた人類進化の上でのnon-verbal communication時代の相互理解を再現しているものと考えられる。
実際問題、実社会において、我々は「言葉」という符号を使っただけでは、自分の意思が伝わらないことは毎日手厳しい経験をする。
その自分の言葉に、発声の強弱や、自分の感情を込めたり、相手の目を見て話したり、身体もまっすぐに相手に向き合う。
 
こうして初めてcommunicationは成立するのである。
一度稽古を止める人も、ここに気がつくと、西野流呼吸法の稽古に戻ってくる。
他のどんな身体訓練にも、この点が希薄であるからである。
 
本noteで順に述べていく、自分のイメージを相手に真っ直ぐ伝えるという、西野流呼吸法の稽古は、そのまま、武道などとは関係なく、社会の中で生きていく、社会に自分のエネルギーを交流していく、生き方そのものであると考えられる。

Mirror neuron system等を通して、相手とのcommunicationを行う。
相手を想う。痩せるほど相手を想う(西野先生の言葉にもある)。
それが21世紀に展開するvirtual技術を克服できる世界である。
 
言葉でない音楽は身体を通してcommunicationとして相手に浸透する。
同じように、「対気」において培われた身体を生きることが、そのまま人間世界でのnon-verbal communicationにつながる感覚を育てることになる。
ここに西野流呼吸法(呼吸法bodywork)の真の意味がある。
実は、この「不思議」な呼吸法を、私自身30年間も続けられたのは、そうした効果を実感する面があったからである。
 
(追記:
2023年になりこの身体の実存感への考え方が、さらに深まっている。
それはこの“身体”や“non-verbal”の実体が“旧脳(脳科学的には「皮質下(subcortical)」)” を意味しているとの考えはじめている点にある。

そもそも旧脳へのアクセス法は限られている。歴史的には舞踏、リズム、音楽等。宗教的には瞑想(坐禅(坐禅そのものは呼吸法でもある))である。
 
しかし西野流呼吸法「対気」での相互Signalingは、経路は不明ながら旧脳システムにアクセスし、その結果としての錐体外路系locomotion運動が開放される。その結果衝撃感と爽快感が得られる。
 
皮質下(旧脳)が関与するので、他のBodyworkでは得られない「身体の実存」感を帰結するのでないか。Subcortical accessとしての西野流呼吸法の理解はもう少しincubationを続ける。

西野流呼吸法「対気」という斬新な発明は、結局それに関心を持ち、実践し、臨床的意義を考えるMD(医学的素養を基礎とする医師達)により解明される必要がある。)

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