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【暮らしコラム】 (2)

暮らしコラム、今回はメンバーmakoの暮らしの記憶のお話です。



記憶が暮らしを作る時:箸置き編 by mako

用记忆建造生活之时:筷托篇 by mako



記憶の積み重ねで暮らしはできている。
あの時、何を見て、何を聞いて、何を触って、何に気づいたのか。
その積み重ねで私は今の暮らしを選んできたように思う。
このコラムでは、私の暮らしの中の記憶を書き残していきます。


记忆的堆集形成生活的光景。
曾经的那一刻,看到的,听到的,触摸到的,觉察到的。
我想某种意义上,自己是被这些光阴的聚积所带领,而选择了现在的生活。
那么在接下来由我执笔的专栏时间内,我想把我自己生活光景中的记忆,书写出来。




真夏の東京。定規で引いたようなまっすぐ伸びるガラスと鉄骨のビルたちが並ぶ銀座の一角を、若かりし私は歩いていた。うだるような暑さに根負けするように入ったガラス張りのお店に、それはあった。

そこには沢山の素敵なものがあったような気がするけれど、私にとって強烈に光を放っていたように見えたのは「箸置き」だった。

浜辺で拾ったであろう、珊瑚や貝や石やガラスのかけら。それはただのガラクタのようで、とてつもなく美しい箸置きだった。箸を置くためのすばらしい道具となっていた。



记得是盛夏的东京。银座的一个街角。年轻的我穿行在直尺画出来般整齐划一的玻璃幕墙和钢筋水泥楼宇之间。酷热难耐之时我无意中步入了一家玻璃幕墙店铺。就在这一刻我遇见了。

放射出强烈光芒的筷托。
虽然在这四周还有很多精美的物件,但唯有筷托印入我眼帘。

材质有珊瑚、贝类、石头亦或玻璃,自带一种仿佛是从沙滩捡来般的浑然天成,散发出一种无与伦比的美。原始形态明明只是一个没什么用处的块儿,但却成为了便于架起筷子的重要餐具。


パパグーリHPより (来自Babaghuri官网)


「ヨーガンレール」というブランドのお店にあったそれは、「浜辺のたからもの」と銘打たれ、海を渡り、拾い上げられ、磨かれて、銀座のど真ん中で静かにお客を待っていた。

そのシュチュエーションや、モノとしての美しさや、なんとも自由で軽やかで、それでいて真剣な面持ち。一瞬で心を奪われ、固定概念を壊された。破壊された喜びがそこにはあった。


这是一家名为Jurgen Lehl的品牌。打着的牌号就是“海滨之宝物”。从横渡大海、到被人捡起、历经小心研磨,现如今来到银座这样的城市中心,静悄悄地等待着来宾的到来。

该如何描述那样一个场景,以及物品本身的灵巧美呢。带着自由和轻快,同时又保有端庄肃穆。那是一种破碎后的重生美感,击中了我的内心深处,又瞬间拆解了我所有的固定思维。

パパグーリHPより (来自Babaghuri官网)


箸置きそのものは、箸を置いた時にテーブルやテーブルクロスを汚さないための、ただの思いやりの塊のようなものだ。それがなんであっても良い。世の中には実にたくさんの形をした箸置きがあると思うけれど、この箸置きはピカイチに自由で美しかった。

そう感じるのは、私の生まれ育った場所にも関係しているかもしれない。

海沿いの、小さな港町の外れに私の実家はある。昔はその港町も要衝の地として随分栄えたようだが、今ではすっかり静かで人も少ない。


本身筷托这件物品,是为了在放置筷子时继续保持餐桌及桌布的洁净而诞生的。是凝结了体恤关心的一种普通人造物。使用任何材质都没问题。世界上林林总总有不同形态的筷托,但唯有不期而遇的这个品牌,有着最为突出的自由自在的美感。

会带给我这样的感受,也许源于我个人的成长环境。

我的故乡位于日本海沿岸、在一个小小的港口城市的郊野。这里曾经作为重要的军事要地在古代兴盛过好一阵,不过现在人烟稀少,是一个宁静的海滨城市。


実家のすぐ裏の海 (老家屋后的大海)


私の実家の裏手はすぐ海で、子供の頃は毎日のように浜辺で近所の子らと走り回って遊んでいた。波が引いて静かな時は、綺麗な貝やガラスのかけらを見つけては広い集め、千代紙の貼られた小さな紙箱に入れて、大事に大事に貯め込んでいた。

老家后门口走出两三步就是大海,因此在孩提时代几乎每天我都会和附近的幼时玩伴在这片沙滩玩耍嬉闹。而每当潮水退去海面变得平静之时,我都会寻觅漂亮的贝壳和玻璃碎片并捡拾起来,小心装入纸箱,然后非常郑重其事地珍藏起来。

実家のすぐ裏の海 (老家屋后的大海)



貯金箱と同じくらい大切だった宝物は、いつの間にか忘れられてしまって、実家のどこかにまだあるような気がする。このコラムを書く上で思い出したそれが、どこにあるのか探しに行きたい。しかし、コロナで実家に簡単には帰れないので、今所在を確かめることができないのが残念である。

でも、今住んでいる場所で、それを想いながら箸置きを作ることだってできる。
そういう自由さをヨーガンレールの箸置きから教えてもらったじゃないか。

暮らしと記憶はそんな風に繋がっていく。



明明是和储蓄罐同等重要的这件童年宝物,不知道从何时起居然被忘在了脑后。但我相信应该并未遗失,仍在家中某处。在构思这篇专栏时突然又浮现脑海,涌起一种想要把它找寻出来的冲动。当然身处疫情管控这样一个特殊时期,回乡都无从谈起,更何况寻找童年宝物呢。

不过不管如何,在现在所处的居室,沉浸在回忆里的同时,我还可以自己尝试手作筷托。
这种创造的自由是Jurgen Lehl的筷托给到我的启发。

居家生活和过往记忆也因此串联到了一起。

文房具屋で買った紙紐で作った箸置き。(在文具用品店买到的纸纽制作的筷托)





profile/个人简介

mako

上海在住のフォトグラファー。
料理の師匠は母。掃除の師匠は父。一眼レフを持って写真を撮り始めたのは15歳。まだ飽きずに写真を撮りながら、暮らしの中にある「なんてことない美しい瞬間」に心を震わせ、一人暮らしを謳歌する38歳。

居住在上海的摄影师。
烹饪技艺师承于母亲,打扫技能师承于父亲。初次手持单反相机开始拍摄是在15岁。而今是一边不知厌倦地进行拍摄、一边在居家空间中被“至美的瞬间”所感动、并歌颂单身生活可贵的38岁。


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