「白いページの中に」~柴田まゆみ(1978年)

 昭和のフォークソングを全国に広めたきっかけは「ヤマハポピュラーソングコンテスト」、通称「ポプコン」の力が大きい。詳細はこちらに譲るが、音楽をつくる側と聴く側のエネルギーが集約して、多くのアーティストや楽曲を世に送り出した。

 歌謡曲という市場に乗らない音楽を広めるのに、ラジオが大きな役割を果たした。ポプコンで入賞したり有名になった曲を取り上げる「コッキーポップ」という番組があり、大石吾朗というMCの温かみのあるトーンが心地よかった。

 「白いページの中に」はコッキーポップ以外にも、当時のラジオでよく流れていた唄だった。

 私は海を見つめるのが大好きだったので、「好きだった海のささやきが いまは心に染みる」というフレーズを聴くと、海へ向かうまでの坂道をいつも思い出す。
 歌詞には「長い長い坂道を いま上っていく」というフレーズがある。高校時代の私は「自分の場合、海へ行くには坂道を下らなければならないのに」と思ったが、大人になって聞き返すと、この坂道は「人生という坂道」なのだな、ということに気がついた。

 歌い手の柴田まゆみさんは、当時から顔を知る機会がなく、いつしか引退されていたようだ。
 Youtubeには↓のように、活動されておられる動画がある。

 

 なかなかお目にかかることもないだろうが、どこかで、そで擦り合うことがあれば「すてきな唄をありがとうございます」とお礼を言いたい。

 オフコースにいた鈴木康博さんがラジオに出演した際、「『さよなら』という曲の持つ〝強さ〟を感じた」と振り返っていた。世に語り継がれる歌には「強い力」がある。「白いページの中に」のように、40年以上の時が過ぎても人をやさしく包み込む「強さ」は、これからも色あせないだろう。 


  ブックオフに出かけると、平成に歌姫や女王などともてはやされたアーティストや、特典付きのアイドルのCDが、投げ売りされている。
 それに比べて小田和正や山下達郎、松任谷由実、中島みゆき等々、現在も活躍している昭和のアーティストたちのCDは在庫が少なく、新譜に近い価格を維持している。平成のミリオンセラーに「強さ」がなかったわけでもない。

 私は、ドッグイヤーの到来で、音楽の入れ替わりと上書きされるタイミングが爆速になったと思っている。
 コンビニと同じように、春夏秋冬のイベントのBGMを提供するサイクルが固定化していて、厳しいオーディションに勝ち残った「最高の楽曲」が毎年、リリースされる。だから今の若者には2年間の曲ですら「なつい…」と感じる。

 言い過ぎかもしれないが、現代は、曲を味わう時間が少ない時代ではないか?歌には発表後に時間をかけて強さを増していくものもあるが、中島みゆきの「世情」「ファイト」のように発表後2~3年経過してからブレイクする曲はほとんど出ない。

 子どもを観察していると、デバイスを更新してもmp3ファイルは引き継げているようだが、デバイスの容量が一杯になっていく段階で「縁の切れ目」が押し寄せるらしい。

 アーティストが、音楽が消費されていく時代だと、つくづく感じる。

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