弥生つめたい風~NSP(1977年)

 NSPは、10枚目のシングルで、1977年発表。同年リリースされた6枚目のアルバム「明日によせて」にも収録されている。
  
 「明日によせて」は同名のプロローグ曲で始まり、東北や東京の空気と風を思い起こさせるような楽曲で構成されている。卒業式のワンシーンを切り取った学生らしい「青春の後始末」は私のお気に入り。

 「弥生つめたい風」は桜をモチーフに、一つの愛の終わりを描く。3/4拍子で始まり、さびから4/4拍子に変わってから、曲はテンポを上げ3番まで歌詞をつなぐ。

 おもしろいのはサビで「弥生の空 風が強くても 桜の花 風.に 散らないで」という短いフレーズ。冒頭の季節が1番の「弥生」から2番は「卯月」3番は「五月」に変わっていく。

 ハナタレ小僧の中坊.には、その意味を計り知ることがなく、ギターをかき鳴らしながら歌っていたが、年を重ねるにつれて私なりに解釈が生まれてきた。

 ご承知の通り、桜前線は毎年、北上する。九州や四国、関西では2月から
桜の便りが聞こえ始め、関東圏でも3月には桜が満開となる。東北は3月から4月にかけて、私の郷里・北海道は黄金週間の前後になってようやく桜が咲き始める。

 この歌の中の2人は、東京で出会い付き合っていた。2人で見た桜は弥生の空に彩りを添えていた。
 その後、2人は東京を離れて東北で暮らしたが、別れることになった。最後に2人が見た桜は、4月の風の中で、咲いたと思ったばかりなのに散り始めていた。

 彼女を失った翌年、五月の空に散っていく花びらをながめながら、彼女のことを思い出した。この曲から思い浮かぶイメージはこんな感じだ。出会いと別れの季節に寄り添う優しい曲調が切なく心に入り込んでくる。

 私は北海道の中でも冷涼な気候で知られる海岸沿いの地域に住んでいた。当時は真夏でも20℃を超えること期間は短く、身近な場所にソメイヨシノの木は無かった。

 海岸を離れ山間部に近いところに咲いていたのは「チシマサクラ」という種類の桜で、ソメイヨシノよりも淡いほとんど白色に近い桜が咲いていた。

 当時は勢いのあった三洋電機(みつびしではない)が、自社製品の販売をしてくれる特販店を全国に抱えており、その顧客を集めて「ファン感謝デー」的なイベントをしていた。その一環でバスをチャーターし、花見も企画していた。

 5月の北海道は、下手するとまだ雪が降る。場所によっては朝晩の気温が零度を下回ることも珍しくないので、私はニュースで見かける本州のお花見がうらやましかった。なにせジャンパーは必須で、主催者が大鍋を持ち込み豚汁を作っていて、それを食べながら暖を取り、つめたいおにぎりにかじりつくのが花見だったから。

 その後t、本州への出張などで桜を見ることも増えた。温暖化の影響で25℃超えの花見も珍しくなってきているようだが、春の夜空に咲き乱れる桜を楽しむのに、ジャンバーは似合わないと思う。

 ちなみに温暖化が叫ばれて久しいが、日本近海でとれる魚に関しては「寒冷化の様相を呈している」という専門家の話を以前聞いた。

 北海道ではスルメイカやサンマが激減し、イワシやブリ、ニシンが大量にとれている。

 これまでの統計ではイカやサンマの不漁はいずれも海水温が低い時期に起こる傾向らしいが、最近の海水温は過去最高を更新し続ける温暖化はまちがいない。その専門家は「我々が直面したことがない現象が起きているかもしれない」と話していた。


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