見出し画像

あくまきとかるかん

コープの宅配のカタログに、「あくまき」と「かるかん」があったので、頼んだ。今日届いた。

あくまきとかるかんは、夫の両親の故郷、鹿児島のお菓子だ。

あくまき・・・灰汁(あく)につけておいたもち米を、竹の皮で包み、灰汁で煮て作る。
かるかん・・・かるかん粉(うるう粉)と山芋を混ぜて蒸す。

義母は鹿児島市内の生まれ。末っ子で、可愛がられて育ったという。義父と知り合い、結婚、満州に渡る。戦後引き上げ、義父の郷里、鹿児島へ。実家は農家だった。
ところが、義母は不器用で農作業ができない。姑との確執に耐えかねて、ついに二人は故郷を出ることを決心する・・・。ここからも、息子を亡くすなど苦労している。

義父が亡くなった後、10年間一人暮らしをしていたが、家を処分し長男家族(私たち)の家に引っ越してきた。

ある日、九州物産展か何かで、あくまきを売っていたので、買ってきたことがある。義母は懐かしみ、「昔は家で作っていた」と話してくれた。

そして、あくまきを切るところをやってみせた。竹皮の細い紐の一端を口にくわえ、紐を器用にくるりとひと回しにして、力を入れて引っ張ると、きれいに切れた。包丁では粘りがあり過ぎて、切れないのだ。

かるかんは、義父母が鹿児島に帰ると、お土産に必ず買ってきた。今は饅頭の形が主流で、中にあんことかも入っているのも多いが、買ってきてくれたかるかんは、カステラのような棹形だった。それが、本当に美味しかったのだ。饅頭形には出せない味だと、私はひそかに棹形のかるかんにあこがれている。

今回のかるかんも、一つずつの個包装だったが、元祖と言うだけあって、美味しかった。夫は棹形のかるかんは覚えていないという。まったく!


みなと神戸

義母と一緒に暮らした期間は10年にもならなかったと思う。股関節痛がひどく人工関節置換術を受けたが、入院中に脳梗塞になった。そのあとは病院や施設をいくつもめぐり、家に帰ることなくそのまま亡くなった。だから、嫁の私は介護をしていない。

不器用と言いながら、義母は娘の服や自分のコートも縫った。義理堅く、親戚の世話をよくしていた。自分の部屋で、テレビの歌謡番組を見て歌ったり、お笑い番組を見て大きな声で笑っていた。
 大正生まれでしゃんとしていて、でも末っ子らしくかわいいところのある女性だったと思う。

あくまきは包丁で苦労して切って、きなこで食べた。義母の、紐をくわえてあくまきを鮮やかに切った姿を思い出す。


九州つながりで熊本の辛子蓮根。九州物産展で売っていた。
へたをすると鼻がツーンとして難儀する。夫は食べない。





この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?