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「自分を証明するな」とはどういう意味だろうか

朝日新聞 2023年9月21日(木)夕刊 「一語一会」
ジャズ・トランペッター 日野皓正さん。


あの有名なドラマーのアート・ブレイキー氏と共演、その後に言われた言葉だそうだ。

「自分を証明するな」

どういうことだろうと、ずっと考えていた。記事を何度も読んだけどわからない。
日野氏は言う。

重たい言葉でしょ。「自分はこんな演奏ができるんで、ちょっと聞いて下さい」って思っていたんだろうね。

日野氏の言葉より

 つまり、「自分の力に溺れるな。謙虚であれ」ということかと思った。

音楽と文章も表現すること

なぜ、私はこの言葉に引っかかったのだろう。
それは「表現者」としては、音楽も文章も同じではないかと感じたからだ。

そして、自分を振り返ってみた。

 もちろん、自分はプロのライターではない。しかし、日頃こうやって書いていると、正直、自分は文章がうまいんじゃないかと思うことがある。

それは錯覚だ。すぐに「自分はそんな実力はない」と思い知らされる。世の中には、文章のうまい人がたくさんいる。noteを始めてから特にそう思う。

「書けない!」「面白くない!」と自信を失う。

「自分を証明するな」

この言葉に自分を当てはめるとすると、「おごるな、謙虚であれ」
そして、「まだ自分の限界を決めるな」とも捉えることができる。
その、どちらも言えることに気がついた。

反対のことを言っているようで、そうじゃない。


「おごるな、謙虚であれ」
「自分の限界を作るな」


日野氏は1942年生まれ。80歳。父親がタップダンサーでトランペット奏者。そのDNAを受け継いで「運命」を感じて演奏してきた。「自分の持っているもので人に感謝されれればいいな」と。

しかし、変化が訪れる。今までの固定観念を壊し、自分らしい音楽の言葉を探り始める。そして「天の声」も聞くようになる。誰でもない声が「この音、吹け」と言うのだそうだ。

その、天の声を聞くには、やはり土台が必要という。

自然体で、無であること。一生努力し続けること。努力って、誰でもできることなんだよね。えらそうに言う僕が一番できていない。

日野氏の言葉より

「吾唯足知」

日野氏のたどり着いた境地が、京都の龍安寺にある言葉。

「われただ足るを知る。自分がきれいなら天の声を聞き逃さないはず」

記事より

何という謙虚な姿勢だろう。足るを知る。やはり、「おごるな、謙虚であれ」ということだ。それだけではない。ただ自分のできることをやっていくだけという、無我の境地ということかもしれない。

今、「足るを知る」を調べたら、「感謝」という言葉も出てきた。

自然体で、無で

もう一度、自分の身に置き変えて考えてみる。

自分は書くことが好きだから、これからも書いていくだろう。
その時に、

「おごらず、謙虚であれ」
そして、ひねくれたり羨んだりせずに落ち着いた気持ちで、
自分の力をそのままに受け止めて、ただただ努力する。

自分の限界を決めない。自然体で無で。楽しみながら。
それが、「謙虚であれ」と「限界を作るな」を結ぶ言葉かも知れないと思った。

そうやって書いていたら、いつの日か私も「天の声」が聞けるだろうか。


読み間違いかも知れないけど、思ったことを書いてみた。


*見出し画像は、毎年河川敷で行なわれるジャズピクニック。


《ここからは余談》
その記事の横は、三谷幸喜氏のコラム。氏がタクシーにケータイを忘れ、無事に手元に戻るまでのことを書いていた。2週にもわたって。私は落としたケータイが戻ってこなかった。息子の結婚式の写真がそこに入っていたのに。三谷さん、良かったですね、戻ってきて。うらやましい。
・・・ひがんでいる私がいる。ああ、邪念が。
きれいな心になれない!



















































































































































































































































































































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