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「三行で撃つ」を読む~善く生きる

初めに

 近藤康太郎著「三行で撃つ」
私はこの本を2回続けて読みました。3日間くらいで。

 気になったところにたくさん線を引きました。もっと気になるところはドッグイヤー、つまりページの上を三角に折りました。1回目の読んだ時は赤ボールペン、2回目は緑のボールベンです。
 大事なことを書く「抜き書き帳」も作りました。B5ノート19ページになりました。

 本は赤と緑のボールペンと、ドッグイヤーだらけです。
この方法は、著者の近藤康太郎氏が教えてくれた方法です。

 

 最初に書いてしまいます。私の心に届いた言葉を。

文章は、見えなかったものを見えるようにすること
  文章は、見えていたものを見えなくすること

表紙の見返しより

どうでしょうか。やられちゃいますよね。
「見えていたものを、見えなくする」
 考え込む。
想像してみる。

 こんなふうに、この本を読んで、印象に残ったことを書いていきたいと思います。かなり、内容について触れています。ご了解ください。すでに長文。



近藤康太郎とは

「三行で撃つ」は朝日新聞編集委員、日田支局長、作家/評論家/百姓/猟師/
私塾塾長である近藤康太郎氏が、文章の書き方を指南してくれる本です。
(現在は天草) 

 私は新聞に連載された「アロハで~」シリーズで近藤氏を知りました。それ以来、文章のファンというより、氏の生き方、考え方に感銘を受けて、追っかけしています。(実行動ではしていません)

 近藤氏は文章を書くことで30年以上生きてきました。
7年前に気がふれて、(と本人が書いています)生まれ故郷の東京を捨て、九州のど田舎山奥で百姓・猟師をしながらライター生活を続けておられます。


 これは、ただの「文章の書き方」のハウツー本ではありません。文章を書くということを通じて、「生きることとは何か」という生き方の指南書になっています。
 そのことは、「はじめに」という章で明らかになっています。

 猟師は猟銃で鴨を狙います。でも易々とは獲れない。文章を書くのもそれぐらい、いや、それ以上に難しい。
 猟と文章を書くことが、とても似ている。五感を使う、肉体的な仕事と。

猟も、文章も、どちらも<生>に直結しているからです。<命>に関わる事だからです。文章を書くとは、考えること。文章を書くということは、すなわち生きることだからです。

本文P6~P7より引用

 もうこの一文だけで、背筋が伸びる気がします。


まずは文章の基本

 編集者からの依頼は「文章の書き方を易しく解説すること」でした。そこはまず押さえておかなければなりません。

 なるほどと思うことが、納得のいく文章で書かれています。
 
 その中には、私がいつも気になっていることもありました。
 例えば「書き出しを外さない」「『など』と書いて逃げない」「常套句は親のかたき」など。(あ、「など」と書いちゃった)

「起承転結の転のパターンは①古今②東西③逆張り④順張り⑤脱臼・・・あ、本文をこんなに抜き書きしていいのだろうか。
・・・良いことにしよう。P74です。

 といったふうに、文章術の実用書らしいことがたくさん書かれています。これだけで読む価値ありです。

でも、それだけでは無いんです。


善く生きる、それがいいライター

 前の方で書きましたが、この本は「いい文章を書くこと」をベースに、「生きるとは何か」について深く、熱く、語っています。
 つまり、映画や本のタイトルではありませんが、「君たちはどう生きるか」ということです。

 

 本文の合間から、近藤氏の、書くことや生きることについての考えや言葉が、立ちのぼってくるのです。優しく、厳しく。ゆらゆらと暖かく、そして鋭く。
 サングラスの向こうから、そんな眼が見えるようです。
(新聞のアイコンの写真は、サングラスとアロハとテンガロンハット)

 そんな言葉がたくさんあり過ぎるのですが、一つだけ紹介します。

文は人なり、という。(中略)文章とは、人そのものなのだ。その人の性格も、感情も、知能も、来歴も性癖も趣味も、おっちょこちょいもしみったれもあんにゃも、一切合切が出るものなのだ。いや、出てしまわなければならないものなのだ。

P173より

 そして、たくさん「詩」が書かれています。近藤氏は詩人。そう思うしかありません。その一文に撃ち抜かれるのです。

結論とは、鐘の音が響いてこだまする、山のざわめきだ。

P90より

ライターの力強い味方

 近藤氏は、ライターに対して厳しいことを言っています。本は(プロなら)1000冊読め、古典も社会科学も自然科学も読め。わからなくても経験し五感を磨け。ライターは善い人、すなわち君子であるべきだ。

 でも、気持ちは熱い、ライターの味方です。

世界の万人が理解し、感動し、牢記するべき文章を、自分は書いている。書くつもりだ。また、そうした確信がなければなぜ文章など書くのか。

P132より

力づけられます。
  虚空に向かって、歌え。
  宇宙に向かって、書け。(第7章より)

ここで終わっても良いくらいです。
私が熱くなっていますね、

私は私でいい

 
 私は、このようにたくさんの影響を受けました。いい文章を書くとはつまり善い人になることというのも「そうだな」と思いました。

 今まで自分は何のために文章を書いてきたのか。(自分のためだよね) 誰に向かって書いてきたのか。誰かに読んでもらいたいのであれば、その文章は読んでもらうに値する文章なのか。
 翻って、読んでもらえる文章を書けるくらいに、自分は善く生きているだろうか。努力をしているだろうか。

 でも、その反面、私は私でいいんだ、と思いました。そう言われた気がしました。
 自分の経験したことは自分のものになる。糧になる。このまま興味のあるものを楽しむ。
 文章を書くときはとにかく考える。考え抜く。出す、出し尽くす。
 「笑うこと」「面白がること」が救いになる。それは自分にもあると思う。そうして自分の道を自分だけは信じて進む。善く生きる。

 そうしたら、いつか自分にも、いい文章、つまり近藤氏の言うところの「人々をいい気持ちにさせる文章、世の中を少しでも住みやすくする、風通しのいい文章」が書けるようになる。そうしたら誰かの心に届くにちがいない。

 そんなことを考えました。

 

最後に

 本文からもっと紹介したいところもあるのです。例えば、「グルーヴ感」とか「ナラティブ」とか。ここ大事と思うのですけど。
 感想も書き足りないけど、最後にこの文を紹介して終わりにします。

書くことは、過去も変えられる。自分の置かれた世界を承認できる。過去の自分を、救い出すことができる。自分の運命を、甘受する。

第7章 P300より

もう一丁!

自分に、なる。とどまらない。変わり続ける。

第4章 P165より

転がり続けろ、わたし。






*ここがあると気がついた方へ
おまけ、付けても良いですか。わたしはこちらを先に読みました。


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