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青春時代はスガ シカオと、

スガ シカオと出会ったのはいつだったか。

明確な時期は覚えていないけれど、母親がレンタルショップで借りてきてCDをダビングしたカセット群のひとつにスガ シカオの3rdアルバム『Sweet』があった。発売時期を考えると、おそらく自分が小学校の中学年の頃だったのではないかと思う。半透明の白色をした、ちょっと可愛いカセットだった。

母親は車で一時期それをよく聴いていて、時には家でも聞いていた。
有無を言わさず聴かされ続けていくうちに、先行シングルとして発売もしており、1曲目に収録されている「あまい果実」のイントロのベースの音がお気に入りになった。何かが始まりそうな、でもちょっと不穏な感じ。
一番好きだったのは「正義の味方」だった。ストーリー仕立てで、子どもだった自分でもわかりやすい、もしかしてうちの近くにもそんな家族がいるのかもしれない、と少しドキドキさせる歌詞が好きだった。

スガ シカオを“スガ シカオ”をしてしっかりと意識するようになったのは、私が中学生の頃だったと思う。
この頃には先述のカセットを自ら聴いたりするようになっていた。
ある時、車で移動中の車内でかけていたラジオで「光の川」が流れた。声でスガシカオだってすぐわかった。ラジオで新しいアルバム『TIME』が出ると知った。いままで聴いていたアルバム以外の、スガ シカオの曲が聴いてみたいと思うようになった。しばらくして、そのアルバムを私は買った。

それから、スガシカオのアルバムを本格的に買い集めるようになった。
お金のない学生だったのでレンタルで借りたり、中古CDを探し回ったり、誕生日やクリスマスなどにかこつけて親に買ってもらうなどしながら揃えた。
高校に入ってからは、音源をMDに落として通学中にずっと聴いた。部活で絵を描いていた時も、寝る時も、家でもずっと聴いていた。今も絵を描く時は彼の曲を聴かないとうまく描けない気がしてしまう。完全なるパブロフの犬。
また、特に帰りのバスから見る夕焼けとの相性がとても良くて、いまでもその風景が頭に焼きついている。

アルバム『PARADE』が出た頃、初めてスガ シカオのライブに行った。
一般プレイガイドで取ったチケットだったので、後ろから数えた方がずっと早い席ではあったけど、私にはそれで充分だった。客層は社会人のおねえさんがメインで、高校生の自分は場違いのように思えたけど、それと同時に優越感もあった。

それから、地元にスガシカオが来る度、ライブに足を運ぶようになった。
新曲のプロモーションで地元ラジオの公開生放送に出演する時はラジオ局まで観にいった。インストアイベントがあれば整理券取りに行った。定期試験に重なった時はテストを早く切り上げて退室し、ラジオ局へ走っていった。
インタビューの載っている雑誌が出来る限り買った。切り抜きファイルスクラップブックも作った(度重なる引越しの際処分してしまったようだけど)。
彼が大好きな村上春樹も読んだ。めちゃくちゃにハマった。
彼の音楽のルーツでもあるプリンスなども聴いた。
彼の所属する同事務所内ユニット、福耳もたくさん聴いた。ギターがめちゃくちゃにかっこいい山崎まさよしにちょっと傾きそうになったけど、やっぱりスガ シカオが一番好きだった。
とにかく、私は彼に夢中だった。

なにが良かったのか。
陰鬱そうな雰囲気の音楽がとにかく良かった。
ちょっと画面の暗い映画みたいな、そんな世界観が良かった。
多感で鈍色の青春時代を過ごしていた私に、寄り添ってくれた(気がした)。
声が良かった。
風貌も好みだった。
喋ると毒舌だけど案外明るくて、べしゃりなところも好きだった。
また、同じ一人っ子であったこと、父親との縁が薄かったこと、異性との関わりの少ない高校生活だったこと、何かのインタビューで「自分は根無し草」といっていたこと、彼の話す言葉に共感できることが沢山あったことも好きを増長させた。

『FUNKAHOLiC』『FUNKASTiC』からはバックバンドも変わり、相変わらずの毒気はあるものの、曲が以前と比べると明るいものが増えたような気がした。
ダ・ヴィンチかなにかのインタビューか対談で、「作品がインサイドだったものがアウトサイドに向いているのでは」という話があって、妙に納得したのを覚えている。
やや暗めの学生生活を送っていた私も、進学を機に自身を縛っていたものを解くようになり、少しずつ明るい方へ向くようになっていった時期にリリースされたアルバムだったので、尚のこと自分のための歌のように思えた。

2011年、大きな震災があった。
NHKのドキュメント番組のテーマソングになっていた『progress』の「あと一歩だけ、前に 進もう」というフレーズが特に自分たちに寄り添ってくれているようで、頑張ろうという気持ちになると、被災地域はじめ全国的に話題となった。
今まで同級生に「スガ シカオ?なに歌ってる人だっけ?」と言われ続けてきたのが、急に「スガ シカオ、あのNHKの番組の歌良いよね」と言われるようになった。複雑な気持ちにはなりつつも、彼の詞の良さを曲の良さをわかってもらえるようになったのは嬉しかった。

そんな年の秋、スガ シカオはデビュー時より所属していたオフィスオーガスタを離れて、インディーズに戻ることとなった。メジャーでは曲が生々しい形でリスナーに伝わらない、等の理由からだった。
満を侍してできたファンクラブも、出来てまぁまぁ日が浅かったし、衝撃だったけど、「本当はこんな歌詞にしたかったけど、マネージャーからNGが出てこうなった」なんて話をアルバムのセルフライナーノーツか何かで読んでいたこともあったので、彼の言いたいことはよくわかった。それと同時に、(あぁ、もうシカオちゃんのいる福耳は見られないのだなあ)と少しさびしくなったのを覚えてる。

次の年の春、私は就職をして地元を離れた。
地元に残りたい気持ちと、早く地元から逃げたい気持ちと、新生活への不安に揺れながら『はじまりの日 feat.Mummy-D』を聴いて自分を鼓舞した。

それからライブに行ったのはたったの1度きり。
いつかのデビュー記念日の、中野サンプラザ公演だけ。
最初の数年間は仕事で精一杯だった、というのもあったが、そのあとも行かなかったのはどうしてかはわからない。新曲が出ればもちろん聴いたし、アルバムも買った。今でももちろん定期的に聴くし、大好きなアーティストの一人だ。

どうしてこんな話を書いたかというと、今の私が、彼がデビューした年齢と一緒だからだ。
10代の頃の私は、彼がデビューした年齢の頃には何か大きなことを成し遂げたいと思っていた。結局できなかった。しなかった。自分は一体なにがしたかったのかも結局わかってない。ただのしがない一般人のままだ。

それでも、今でも新しいことに挑戦し続ける彼に勇気をもらっている。
もらい続けている。

青春時代を過ごしたスガ シカオと、今も私は共にいる。

久しぶりに始める創作活動費用に充てさせていただきたいと思います。