ゆきむらでこ

仙台市出身。名古屋圏在住。脳内アウトプットと文章を書く練習に使ってます。主に回顧録と忘…

ゆきむらでこ

仙台市出身。名古屋圏在住。脳内アウトプットと文章を書く練習に使ってます。主に回顧録と忘備録です。

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岡村靖幸という衝撃 その1

岡村靖幸を知って、ライブに行くようになって随分経ちました。Twitterでは幾度となく呟いてきた、岡村ちゃんとの出会いから初ライブ(ファンの間ではDATEと呼ばれています)、そしてファンになるまでの道のりをそろそろ一つか二つくらいの記事にまとめたいと思い、何年かぶりに仕事以外でパソコンと向き合っているところです。完全なる自分語りですがお付き合い頂けますと幸いです。 はじまりはビバナミダなんか面白いアニメない? そんなことを呟いたところ、悪友より『スペース⭐︎ダンディ』をすす

    • 仮面ライダー響鬼を18年振りに見返した記録

      ここのところ、戦隊ヒーロー・平成ライダーマラソンをしてます。 先日、リアルタイム以来、約18年ぶりに仮面ライダー響鬼を完走しました。 18年経って気づいたこと。 私、当時のヒビキさんとザンキさんの年齢超えてた。 あの頃憧れていたヒビキさんやザンキさんみたいなかっこいい大人になれてない自分にちょっと泣いてます。 Twitterでもぼちぼち感想を呟いていたのですが、 書ききれなかったことや リアタイ当時の心情とかも含めまとめておこうと思います。 多分、主に後半について。 1

      • 寄稿したマンガの話とアメリアとその周辺についての考察的な何か

        学生時代ぶりに同人原稿を描きました。 時々思い出したようにネットにイラストなどをあげてはいたものの、紙媒体の同人作品の制作はおよそ十数年ぶりかな? ワオ、月日の流れて怖い。 なぜ同人活動をしなくなったのか、という話はさておき、今回は『ドクターフー』(以下DW)というイギリスのご長寿SFドラマの二次創作アンソロジー【Blue Boxes】への寄稿です。5P程度のマンガっぽい何かを描きました。 本稿は、古の同人誌よろしく寄稿した話の解説的なものと今回メインとして描いたアメリ

        • スマホNGの公演でスマホ開く人に対して、久しぶりに自分の悪い癖が出てしまった話

          まあまあ久しぶりにnoteを書きます。 気がつけばまたひとつ歳を重ねたりしました。夫に買ってもらったペルソナ5の新作(ファンディスク?)をシフトが入ってないことをいいことに、進める日々です。 先日THE YELLOW MONKEYのライブに行ってきました。 めちゃくちゃに楽しかった!とは正直言えなかった。 なぜなら、そこで久しぶりに私の悪い癖が出てしまったから。 Twitterでもぼちぼちその件を呟いたのですが、今回はそのお話です。 まず、私の悪い癖の話からしましょ

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        岡村靖幸という衝撃 その1

          結婚に伴い本籍地を移したらちょっとさびしくなった。

          結婚しました。 なんで結婚したかのプロセスとかは恥ずかしいし、誰も求めていないと思うので割愛させていただきますが、それに伴い、生まれ育った宮城県仙台市より本籍地を移しました。 実家もとっくの昔に仙台から移動してしまっているし、本籍地に別にそこまでこだわりはないつもりだったんですけど、いざ本籍地を移してみたら、なんとなくさびしい気持ちになりました。自分が宮城県人であった証明とかいうか、そういった公的なものがなくなってしまった感じがしてしまって。 名字変わるとなんとなく気持

          結婚に伴い本籍地を移したらちょっとさびしくなった。

          出せない手紙を出そうとしている

          中学1年の時に出会った教育実習の先生がいる。 先生は私たちの中学の卒業生で、母校での実習なのだと言った。 背はちょっと低かったけど、かっこよくて、くしゃっと笑った顔が素敵で、フレンドリーで、あっという間にクラスの人気者になった。私もすぐ大好きになった。 実習の最終日はお別れ会をしてクラスで泣いた。 私も泣いたし、先生も泣いていた。 ひとりひとりと、握手をしてお別れをした。 これはあとから聞いた話だけど、 先生のお母さんとうちの母が知り合いで(これもあとから知った)、「息

          出せない手紙を出そうとしている

          青春時代はスガ シカオと、

          スガ シカオと出会ったのはいつだったか。 明確な時期は覚えていないけれど、母親がレンタルショップで借りてきてCDをダビングしたカセット群のひとつにスガ シカオの3rdアルバム『Sweet』があった。発売時期を考えると、おそらく自分が小学校の中学年の頃だったのではないかと思う。半透明の白色をした、ちょっと可愛いカセットだった。 母親は車で一時期それをよく聴いていて、時には家でも聞いていた。 有無を言わさず聴かされ続けていくうちに、先行シングルとして発売もしており、1曲目に収

          青春時代はスガ シカオと、

          知らない町で、しばらく何もせずに暮らした

          去年の夏に仕事を辞めてから、新しい町でしばらく何もせずに暮らしました。 1人は嫌いではなかったし、週末は彼と過ごせるし、 心身ともに疲弊していたし、長い休みなんてなかなか取れない仕事をずっとしていたのでそれまでのご褒美だと思って思い切って何もしないことにしたのです。 最初の1、2ヶ月はバタバタしてました。 役場に行ったり、新生活に新しく必要なものを買い足しに行ったり。本当に右も左も何もわからない町だったので、道を覚えたり、どこで何が揃えられるのかリサーチしたり。また、新しい

          知らない町で、しばらく何もせずに暮らした

          呉服チェーン店が苦手な話

          突然ですがみなさんは和服は好きですか。 わたしは好きです。 元々自身がライトな歴女であったこと。歴史モノのゲームが好きだったこと。レトロモダンなものが好きだったこと。武将隊を追いかけていたこと、などがキッカケで「じぶんで着物を着てみたい」と思うようになり、数年前より着物を着るようになりました。着付けなどは独学で学び、リサイクル着物や親戚からのお下がりを使い、和洋コーデを自由に着て楽しんでいます。 一番最初はネットショップから一番最初はネットショップで着物一式を揃えました。

          呉服チェーン店が苦手な話

          39度の熱を出したら腎炎だった

          ちょうどクリスマスの頃に高熱を出しました。 はじめての39度超え元々、平熱は高い方ではないので、37度超えただけで関節痛に悩まされる自分。高校の時にインフルエンザにかかった時もそこまで熱は上がらなかったし(しかし布団から起き上がることはできなかった)、ここまでの熱は初めてです。 身体を起こしてみるも頭がびっくりするくらい重い。 どうしようもないくらいにフラフラする。 身体中の節々が痛い。寒気がする。頭痛ガンガン。耳鳴りも止まらない。 病院へ行きたい、しかし。この日は仕事

          39度の熱を出したら腎炎だった

          武将隊を追いかけて、救われた話

          宮城県白石市を中心に活動していた「戦國武将隊 奥州片倉組」(以下、片倉組)というおもてなし武将隊をご存知の方はいらっしゃるでしょうか。 まあ、今は活動休止中(実質、活動終了してる)ので、ご存知でなくともまったくかまわないのですが、今日は片倉組を追いかけてた頃の話なんかを書いてみようかと思います。タイミングもあったとは思いますが、私は片倉組を追いかけていたことで、随分救われたことが多かったと思っています。 片倉組とはナニモノなのかまず、片倉組について簡単に紹介をさせてくださ

          武将隊を追いかけて、救われた話

          住んでみたかった神奈川は存外田舎だった。

          7年ほど暮らしました神奈川県。いわゆる「西湘」と呼ばれるエリアで生活していたんですけど、まあ、思っていた以上に田舎でした。 これは仙台人が住んだ、小田原(not仙台市)の話です。 東北コンプレックスと首都圏への憧れこれは東北人あるあるだと思うんですけど、1度はね、関東圏にね、憧れを抱くんですよ。 大きい美術展とか展覧会なんか頻繁にやってるし、大きなテーマパークもあるし。でも気軽に行ける距離ではなくて。 そして地方はテレビのチャンネルが少ない。見たいアニメが放送してくれ

          住んでみたかった神奈川は存外田舎だった。

          クリスマスを少し過ぎた時期にポケットの中の戦争を観た

          クリスマスに腎盂腎炎の疑いがかかり(うまく採尿できなかったせいできちっとした検査が出来ず、はっきりと病名はもらえなかった)、数日間高熱と頭痛と関節痛で寝込みっぱなし、やっと日中起きてられるまで回復するも、大好きなイエローモンキーのナゴヤドームライブ行く体力はなく。 そんな悲しみの中、クリスマスを少し過ぎた時期に 【機動戦士ガンダム0080 ポケットの中の戦争】を観るなどした。 前々から周りの有識者(ガノタ)たちにすすめられていた作品ではあったが、今回が初視聴である。 ち

          クリスマスを少し過ぎた時期にポケットの中の戦争を観た

          ハタチすぎてからもキャンプはたのしい

          前回の記事にてチラッと書いた、約20年ぶりのキャンプが無事終了しました。 約20年ぶりと書いたものの、よくよく考えてみたら15年ぶりくらいだったかもしれません。でも最後はバンガローとか多くなってったから、テント泊は約20年ぶりかと思います。 ハタチすぎてからのキャンプも、同世代とのキャンプも初めてだったので、いろいろと発見がありました。 わたしのキャンプの思い出まず、わたしの家はアウトドア派でした。両親はバイクツーリングがきっかけで出会い、結婚(既に離婚済みですが)。年

          ハタチすぎてからもキャンプはたのしい

          キャンプ場で出会った女の子と私

          近々、わたしの彼とその同僚達とのキャンプに参加することになったんですけど。完全アウェイなのと人見知りなのとキャンプ自体ほぼ20年振りなのとでちょっと心配です。 それに伴い、キャンプにまつわる昔の記憶などが色々蘇ってきたので、つらつらといくつか書いてみようかと思います。 実はキャンプ一家育ち一人旅は好きなくせに基本は引っ込み思案でハイパーインドアのわたし。そんなわたしですが、実は小学校中学年くらいまでは冬季以外はシーズン毎にキャンプに連れて行かれるよな家庭で育っています。

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          田中泯さんと遭遇した話

          遭遇したっていうか、泯さんが出る対談企画を見に行った時の話なんですけどね。 田中泯さんを知ったのは『メゾン・ド・ヒミコ』が初めてだったと思います。初めて見た時は、ただただオダギリジョーが美しいなという感想だったんですけど、そのあとDVDを買い、何回も見直してていくうちに元ゲイバーのママ・ヒミコを演じる田中泯さんの持つ雰囲気に惹かれていきました(これを書くにあたって、ついこの間、数年ぶりに見直したんですけど、やっぱりセクシーでした)。 泯さんが出展するからという理由だけで、

          田中泯さんと遭遇した話