出せない手紙を出そうとしている
中学1年の時に出会った教育実習の先生がいる。
先生は私たちの中学の卒業生で、母校での実習なのだと言った。
背はちょっと低かったけど、かっこよくて、くしゃっと笑った顔が素敵で、フレンドリーで、あっという間にクラスの人気者になった。私もすぐ大好きになった。
実習の最終日はお別れ会をしてクラスで泣いた。
私も泣いたし、先生も泣いていた。
ひとりひとりと、握手をしてお別れをした。
これはあとから聞いた話だけど、
先生のお母さんとうちの母が知り合いで(これもあとから知った)、「息子が実習最終日に泣きながら帰って来た」と又聞きした。なんだその可愛いエピソードってなった。私も大学通ったけど、そんな可愛い男子大学生は私の周りにはいなかった。先生、ピュアすぎる。尊い。推せる。
先生がいなくなった次の日の教室には、
机の中に、先生からひとりひとりへの手紙が入っていた。
そういえばあの日、部活の帰りに教室の前を通ったら先生が残っていて、一番後ろの先生の席でなにかせっせと書いてたような気がした。あの時咄嗟に先生が隠したのはきっとこれだったのだ。
当時の私は演劇部で。しかも部員が先輩と私の2人しかいない廃部寸前の部活で。
正直、こんなで部活として成立していけるのか、とかちょっと悩んでた。
“演劇はその人の個性を他の人に伝えられるいい表現方法“
“だから**はいいところにいるんだよ”
先生は手紙にそう書いてくれていた。
肯定してくれて、自信を持てと、背中を押してくれた。
プロフィール帳(懐かしい)に挟んで、お守り代わりにして時おり読み返した。
手紙の最後に、
“来年はもっと部員入れて、大舞台で**を見せてあげて”
と先生は書いてくれていた。
でもそれは叶うことはなかった。
次の年に若干部員が増えるも(それでも5人も満たなかった)、
色々あって半年くらいで辞めてしまった。
その後、部員は増えることなく、
3年生の時、演劇部は私の代をもって休部(廃部)になった。
卒業シーズン。
3年生を送る会か何かで、部活の後輩たちからメッセージ、みたいなのがあった。部の後輩たちがでっかい模造紙がなんかに贈る言葉的なのを書いて、それを体育館のギャラリーから吊るす、一大セレモニーだ。
当然部員は残っていなかったから、演劇部にはないものだと思っていたけど、生徒会が哀れに思ったのか、先生たちが哀れに思ったのか、誰が書いたかわからないけど演劇部宛にもメッセージがあった。本来ならばありがたいなあと思うところだったのかもしれないけど、なんかすごく悔しかったのを覚えている。
先生に言ってくれたことをぜひ叶えたかった。
人のいる演劇部で、舞台に立つことは自身の夢でもあったから。
それができなかったことが悔しかった。
中学3年間は戦いだった。
ドン・キホーテのように、見えない敵と常に戦っていた。
先生と出会った頃の明るかった性格はだいぶ歪んで、ひん曲がってトゲだらけ。ガチガチに武装した。今はだいぶ矯正されたけど、片鱗は残ってる。
それでも戦えたのは先生の手紙もおかげもあったと思ってる。
あの言葉がなければ、うなぎの寝床みたいな部室(という名の備品倉庫)でずっと泣いていたかもしれない。もしかしたらどこかで折れて、転部していたかもしれない。
なんだかそんなことを久しぶりに思い出した。
久しぶりに始める創作活動費用に充てさせていただきたいと思います。