愛を込めて、私は母を狩野英孝と呼ぶ。

世の中の、"お母さん"というものが、どういうものなのか、私はよく分からないけれど、私の母はとにかく適当だ。

そしてその血を受け継いでしまった私も、とにかく適当&大雑把。


コップに勢いよく水を注いだと思ったら、見ているはずなのにコップから水を零し、自分に向かって鼻で笑い、濡れた水を布巾で拭いていると、手が当たってボトルを倒し、2リットルの水が床にザバァーーーーーッ。アーーーーーッ!!!!!!!!!!!

じっと零れた水を見て、一時休止した後「こういうところですよね~~~」と、驚いた顔でこちらを見ている愛猫に、盛大におどけたりする。

「床掃除にもなるし、ちょうどいっか!!!」

と言って、その瞬間にspotifyを開く。

いえ~~~~い、アリーナーーーー!!!1番後ろの角のあなた(壁に飛んだ水滴)までしっかり見えてるよ~~~~ありがと~~~~う!!!

盛り上がっていこ~~~ぜ~~~~!(床拭く)

自粛生活も楽しく生活していて、あまり困ることはない。強いて言うなら、こんな私を相手にせざるを得ない愛猫のストレスが心配。う~~~ん、楽しそう、OK!床拭く私の手元見て、頭がぎゃんぎゃんに動いちゃってるし、元気もありそう、OK!


初対面の人にすら「飄々としている」と言われる私を作った、両親。

かつて潔癖症で神経質だった母とバトった経験は数えきれないが、年月というものは、あれほどのじゃじゃ馬女でさえも大人しくさせるものなのかと、びっくりしている。今は、潔癖症は残って、神経質はちょっと減ったように感じる。

そんな母は、「ひとりっこは全部自分で出来るようになりなさい!私たちが死んだら1人よ!」という教育方針のもと、小さいころから私に何でもやらせてきた。

母が看護師ということもあり、小学校低学年からお留守番は当たり前、ひとりで病院にも歯医者にも行った。

「あなたの体調は、あなたが1番分かるんだから、一緒に行く必要なくない?あなたの体なんだし、あなたが説明すれば。」そういって送り出された。

また、小学校3年生の時は、ひとりで親戚の家に行くため、岐阜→茨城を移動。

「電車わからなかったら、どうすればいいの?」

という私の質問に

「目と耳があれば何とかなる」

そういって送り出した。

そんな母の後ろで、父は「あと鼻があれば、おいしいものも見つけれる」と言って笑っていた。・・・似たもの夫婦だ。


大学生のころ、私の首にしこりが見つかった。

「多分、良性だと思うけど、心配なら取って検査してみる?」

と紹介状をもって訪れた、大きな病院の先生に言われた。

そして先生は「首にしこりがあるかもしれない、という一人娘の診察に、だれもついてこないの?」と続けて心配してきた。

そんな質問を無視して、

「う~~~ん、わかんないけど気になるし、手術もしたことないから、とってみよう!」

と即決した私。

きょとん顔の先生は、「え、大事なこと両親に相談しなくていいの?」と聞いてくる。

いいか、先生、よく聞いてくれ。

「あなたの体調は、あなたが1番分かるんだから、一緒に行く必要なくない?あなたの体なんだし、あなたが説明すれば。」

そういわれて育てられた私の決断を、両親が却下するわけがない。

そして、この首のぶにゅぶにゅしたしこりが何なのか、私が気になる!!!!!見たい!!!!!そして手術室に入ってみたい!!!!!!

きっと目を輝かせながら「とってみよう!」と言った私に、先生は「手術の日は部分麻酔をするから、絶対に誰かと来るように!」と念押ししてきた。先生はたぶん、この数分間で、私とその家族のことを瞬時に理解した。さすがデキる男だ。医者っていうのは頭がいいと聞いている。

しかし、案の定といえば案の定、それを聞いた母は「え~~~すぐ終わるでしょ~?1階の喫茶店でお茶してから帰ってきなさいよ~~~」と言った。

まさか先生も、こんな言葉を家で投げかけられているとは思うまい。

それを聞いてきた父が「俺は喫茶店でお茶したい」と言って、ついてくることになった。

手術<<<<<<<喫茶店

私のしこりが…喫茶店に負けた瞬間だった…。


そして手術の日、初めて見る手術室にどきどきわくわくの私は、目に映る物すべてに興味がわいた。

「このBGMは誰が選んでるの?」「だれ!?嵐を選曲したのは!先生が好きなの???」「テンションあがるの???」「何で時計2つあるの?」「上のガラス窓から偉い人が、先生の手術みとったりするの?」「わ!!何か勝手に肩あがった!神経?先生いま神経触ったの?」「しこり取れそう?大きい?実際ぶにゅぶにゅしとるの???」

まるで「なぜ?」を繰り返す5歳児のように、めっっっっっっちゃくちゃしゃべった。

「ちょっと!しゃべるたびにしこり動く!」

と言われるまで喋った。

ちなみに麻酔は何かきかなくて、5本ぐらい打った。えげつねぇ。「あ、先生何か痛いよ~~~~これ麻酔効いてる~~~?」と何回か言ったんだけど、たぶん先生は手術中に「こいつは全身麻酔して黙らせておくべきだった」と思ったに違いない。

こうして終わった手術も、帰宅した母は手術のことは聞かずに「喫茶店で何食べたん?」と聞いてきた。ふふふ、小倉トーストとアイスコーヒーやで。

そして後日行われた診察で、

「良性だったよ。ていうか悪性の可能性もあったのに、また一人で!」

とまたもや先生を驚かせた私だった。

先生が「何も考えてなさそうなアホな大学生がきた」と言ったのか、結果を聞きに行ったときは、看護師さん3人いて、「動物園のパンダじゃないぞ!」と心のなかで思った。

でも診察の帰りにジャムトーストとコーヒーを飲んだ私は、そんなこと今の今まで忘れていた。


とまぁ、破天荒だとか飄々としているとか、そうやって言われてきた私を見れば、両親の破天荒さも伝わるだろう。


私は父に似て、検索魔で広く知識を持っているため、友人にも「siri」と呼ばれるぐらいだが、母は真反対で自分の興味のあることしか、頭の中に記憶しておけないタイプの人だ。

特にひどいのが、興味があって質問したにも関わらず、質問した瞬間に興味がそれてしまい、こちらが説明しているのに、もう口を開けて、窓の外を眺めていたりする。

…あなたが聞いてきたんですよね???

ということが、まぁまぁまぁまぁまぁまぁまぁまぁよくある。しかもその時聞いてるふりをして、空返事をしているのがタチが悪い。父と私はだいぶ見抜けるようになったけど、これ一般社会でやってたら、絶対嫌われるタイプのヤツじゃん…。よー生きてきたね…。


何度かそんな母にいら立ちを感じたものの、ある日私と父は、母があの人に似ていることに気がついた。

それは、「狩野英孝」だ。顔じゃないよ。

あの人は、ラルクアンシエルについて興味はあるけれど、アメトークのゲスト席に座っている時、興味なさそうな顔が垣間見える。

ラルクの話になると生き生きするのに、そのほかの話題については、「ほんとにちゃんと聞いてる????」という笑顔を見せるときがある。

長年、母で鍛えてきた、私と父には分かる!!!!!!

あれは聞いてはいるけど全然理解していない(する気もない)もしくは、もっと酷いと聞いていない時の顔だ。


母は健康オタクで、分子栄養学についてはめちゃくちゃ興味があるので、ビタミンはいつ採る、納豆は加熱しない、腸内環境なんちゃら、という類の知識は異常。サプリメントの飲み合わせなども自分で調べて、オタク通り越して教授か??????レベルの知識を披露する。

でも、それ以外については、本当に興味がない。


だからもう、彼女のことは、狩野英孝だと思うことにした。

母に「あなたは我が家の狩野英孝だよ」と言ったら、小賢しい芸風より、単純明快分かりやすい芸風が大好きな母はちょっと嬉しそうな顔をした。


あまりにも正反対の性格の母を持ったので、「こういうタイプが世の中にいるんだな」というのを肌で感じて生きてきた。

質問をしてきたんだから、興味があるんじゃないの?と思いきや、質問した瞬間に興味が薄れるタイプの人もいるのだと、母から学んだ。マジで厄介。じゃあ質問しないでくれ…と何度も思った。


母が、私の好きなキングダムとかカメラとか競馬とか、そういうことに興味を持つことはないけど、siriと呼ばれる私であれば母の分子栄養学を知識として吸収して話をすることはできる。

相手に合わせてもらおう、興味を持ってもらおうだなんて、理不尽だよなぁ、と28歳の私は母から学んだ。

興味のある知識しか、頭のなかに残しておかないけれど、悪気はないのが透けて見える、あの人のように、今日も私は愛を込めて、母を狩野英孝と呼ぶ。

きっと、母は、一秒一秒、その時を生きているのだ。


ここで立ち止まるような時間はないさ READY STEADY GO

知らんけど。

あとやっぱり、せめて口は閉じてくれ。


ちょっといいもの食べて、もっといいヒトになりたい。