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日記(代替満足的ウツ)

案の条、今日のバイト(単日仕事)が不採用になった。

noteをやることにした。

日記っぽいものを書くことにした。

突然ヒマになると、途方に暮れることもある。

今日、可能な選択に思いをはせる

思い浮かぶアイデアは、結局、代替満足のように思えた。

北鎌倉のあたりにカメラを持っていけば、多少は、気が晴れるかもしれないと考えたこともあった。
でも、鎌倉のあたりは風光明媚なため、カメラなんかを持っていくと
良い写真を撮ろう!とかはりきってしまいそうでこわい

さらに怖いのは
その写真をXやnoteにあげたとことろで、どちらも僕の集客力では、いいねやスキが、せいぜい5つがいいところに思われた。

SNSは、はっきりいって、投稿内容に大した差がなければ、集客力がものをいう。
自分があじさいの写真をXにアップしようとしていた矢先
しょこたんがアジサイの写真をアップしたポストがリポストされてきて
見ると、たしか4桁いいねがついていて、やめてしまったことがある

集客力を伸ばすノウハウにも、最近は及び腰だ
無名の人が、集客のノウハウ如何で、しょこたんあたりの人に何かが届くと考えるのは無謀に思えてきたからだ
いわんや、テイラースウィフトとかは絶対無理だ

北鎌倉まで出かけて、いいねやスキが5つか……
多少、損得勘定のようなものが膨らみ
気持ちが、塩をかけらたなめくじのごとく萎んでゆく

「ギバーになるべきだ」というあの崇高な理想も、
今日はなんだか空疎にしか響かない

1カ月前くらいは、風俗に行くというアイデアが生起したこともあった。

しかし、かなりいけてるお姉さんが、超絶きもちのいいサービスを展開してくれても、
いや、いい感じでいちゃいちゃできても、なんか代替満足ではないかという気がしてきて、とりあえず棄却した。

先日、職場の帰り道、職場の人がYouTubeで最近人気らしい「猫ミーム」というコンテンツのはなしをしていた。
「何それ!」と会話に割って入り
「帰りの電車で見てみるよ」と言って別れた

めちゃくちゃではないが、そこそこ面白かったので
とりあえずチャンネル登録した

今日、タイムラインを見ると
「猫ミーム」の作り方というコンテンツがでていた。

あなたもできる!
あっという間に、チャンネル登録1000人とか謳われていた

一瞬「やろう!」とか思ったが
人生ちがう方へ行ってしまいそうだ

そんなのに一瞬でも手を伸ばそうとするほどに
自分は自分を見失っているのかもしれない

自分を?

自分とは、そもそも何だろう?

大体の場合は、自分というのは、誰とかかわるか
何とかかわるかが決め手であって
自分それ自体をいくら眺めても、答えはみつからないことが多い。

たとえば、被害者というような自己設定は
ある意味、加害者とこそかかわりますよという意思表示なのだと思う。
それは、選択の余地がない場合もあるけど

ナチスの被害で、ある決定的なふたつの著書がある

アンネフランクの「アンネの日記」
ビクトールフランクルの「夜と霧」だ

前者は、こころにすごく訴えるものがあるが
しかし、被害者という立場で人生を終えてしまう悲しい手記だ
それは、無論、それ以外どうしようもない運命だったのだろう
後者は、また、被害者という立場で人生が終わりかねないところをすんでのところで、大転換がおこったはなしだ

ふたつの著書の優劣なんかを問題にしてるのでは無論ない

ただ、ある関係性こそが、その人を規定することもあるというはなしだ

今日、職場の関係と仕事はさえぎられてしまった。

それは特別僕が望んだことというわけでもない

ただまた、自分を見失うという関係性もあるのかもしれないとは思う

「北鎌倉」
「猫ミーム」
「風俗」
「しょこたん」
「不採用」
「アンネの日記」
「夜と霧」

どういう連関があるのかよくわからない複数のキーワードを眺めて
結局、もごもごしている

このもごもごから、今日、一瞬でも脱出できるのか

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