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【連載小説:ホワイトハニーの未来へ】「第1章 人生っていうのは選択肢の連続だ」(3-3)

(3-3) 

 二人の間に沈黙が流れる。マグカップからユラユラと立ち上るコーヒーの蒸気。大樹は何かを言おうと言葉を探すが、ひょっとしたらこの沈黙すらも深緑の本に書かれているのはないかと思うと、怖くて口が開かない。

 そして沈黙を解いたのは、やはり父だった。

「もし大樹が、人生は自分で切り開きたい。そもそも先の選択肢が全て分かった人生なんてつまらない。そう考えるなら、この灰色の本はそのまま捨ててくれて構わない。大樹の自由だ、誰も怒らない」

「うん」

 捨ててもいい。その選択肢をもらえた事で大樹が安心していると、父は「だが、」と言って話を続ける。

「一度、捨ててしまったら、同じ本は二度と手に入らない。あのホワイトハニーに行っても薮川さんは何もくれない。この本は世界に一冊。大樹だけの本なんだ。だから、この本を捨てる時は、よく考えてほしい」

 二度と手に入らない。世界に一冊だけの自分だけの本。如何にも良い風に言ってくれているが、裏を返せば、この本さえ捨ててしまえば終わりという事になる。得体の知れない物を突然、渡された大樹にとって、これ程簡単な選択肢はない。
 そう考えた時、大樹の中で疑問が浮かぶ。

「俺がこの本を捨てるかどうかは、父さんの本にもう書いてあるんじゃないの? 少なくとも今年捨てるかどうかぐらいは」

「いや。本に書かれているのはあくまで父さん自身の人生についてだけだ。だから、紗代子が出掛けているのは知っていても出掛けた先で何が起こるかまでは分からない」

「あっ、そうなんだ」

 これで少なくとも自分が灰色の本を捨てても父には分からない事が判明した。
 現時点ではそれだけ分かれば充分。

 大樹は灰色の本を取り立ち上がる。

「分かった。取り敢えずこの本は貰っておくよ」

 大樹がそう言うと、父は安堵したようにため息を吐いた。どうやら大樹がすぐに本を捨てると思っていたようだ。

「本当にありがとう」

「大袈裟だって。あと、やっぱり大学には行ってくる。まだ授業には間に合うから。ご飯は、どっかコンビニで済ませる」

 現在の時刻は十三時半。本当は今日一日、家でゴロゴロしたかったので、気乗りしない。だけどこのまま家にいるより、無理矢理にでも外に出た方が良いだろう。

「分かった。紗代子が帰ってきたら言っておく」

「うん、じゃあ」

 大樹はそう言って、マグカップと灰色の本を持って父の部屋を出た。両手が塞がっているのを察して、廊下に出ると父がドアを閉めてくれた。

 バタン。

 いつも聞いている父の部屋のドアが閉まる音。

「ハァ〜」

 父と離れた事で、大樹の口から自然と息が漏れた。

 父の部屋に入る時は、何かしらの重要な場面が多かった。

 今日は、そのどれにも当て嵌まらない。父からすれば重要だと思っているかも知れないが、こちらからすれば異質なのだ。だからいつもと違う。

 大樹はそう考えながら、自室へと帰った。

 朝起きた状態がそのまま保存されている自室に妙に安心しつつ、デスクに飲みかけのコーヒーが入ったマグカップを置く。灰色の本を本棚に入れた。中学時代に買ってもらった本棚。殆どは漫画で埋め尽くされて、小説は夏休みの読書感想文用に買った数冊だけ。灰色の本は、目立たないように本棚の一番下に入れた。

 薄い教科書に挟まれた灰色の本は、この本棚で違和感が凄いが、いつか馴染んでくれるだろう。

 いつもの用意をリュックに入れると、上着を羽織り直す。マフラー巻いたら、デスクに置いたマグカップを手に取って、残りを一気に飲み干した。

 部屋を出て。台所の流し台へマグカップを置いて玄関へ向かう。いつもなら父の部屋の前で行ってきますぐらいは伝えるのだが、今日はその気が起きなかった。

 行く事自体は伝えているし、向こうも考える時間が必要だろう。
 大樹はそう判断して、紺のスタンスミスに足を入れる。

 玄関のドアを開けて、マフラーに顔を埋めながら最寄り駅の道をトボトボと歩く。こんな中途半端な時間、学生の姿はない。歩いているのは老人ぐらいだった。

 人がいない最寄り駅のホームで、代返を頼んでいた佐々木にLINEを送り、今から行く旨を伝える。既読はまだ付かない。今は授業中、どうせ寝ているのだろう。

 ホームに電車が到着して、大樹は人の流れに沿って車内に入る。

 車内で空いているシートに腰を下ろして一息ついていると、佐々木から返信が届く。

『今日、もう授業なくね? 大学に用事?』

 あっ、と咄嗟に声が出そうになったが、口を丸く開くだけに留まった。そうか、もう行っても意味がない。家から出たくて、時間も見ずに出てしまったのだ。

 更に佐々木はもう帰るから、自分が大学に着いた時には入れ違いになっている。彼は今日バイトだから、待っていてもらう訳にもいかない。

「ふぅ〜」

 鼻から息を出して、後悔を追い出すと佐々木に『忘れて』とだけLINEを返した。


 灰色の本を開けばこうならなかった?


 ふと、浮かんだ可能性。そうか、これが父が話していた事か。どこかに消えたはずの異質さの残滓が肩に残っていたようで、大樹は身震いした。
 彼を乗せた電車は構わず進んでいく。

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