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なぜ、ずっと意味のない小説が書けるのか?

最初のnote。ずっと前に登録だけして読む専用になっていましたが、諸事情により時間が出来たので書いてみる事にしました。

そしていざ書こうと思った時、何をテーマにと考えて浮かんだのは、小説についてでした。

私は高校2年生の時から31歳の今に至るまで、ずっと1次創作の小説を書き続けています。家族共通のパソコンから始まり、自分のノートパソコン(ネットブックと呼ばれる小さいパソコン)を手に入れてから、そしてiPad+Macと。道具は変われどずっと書いていて、仕事をしていもどんな時でも頭の片隅には、小説があって今日何文字書いたなとか、逆に何文字しか書けなかったなとか考えています。

完成した作品の殆どを賞に投稿していますが、泣かず飛ばす。1次、2次を突破した事なんて14年以上書いてきて、1、2回しかありません。僅かな数の友人に無理矢理読ませて辛口の感想を頂いています。

そうです。誰が見ても分かるように私には才能がないのです。

いくら好きとは言っても、ここまで才能がないと少しはモチベーションは下がるでしょう。1日に書く文字数を意識しなくなったり、段々書かなくなったりとかです。

書かないと誰かに怒られる訳でもない。書いてお金になる訳でもない。そもそも書いている時点で人生の時間を無駄にしている。

にも関わらず、どうして小説を書き続けられるのか。先日、寝る前に真っ暗な部屋でボーッと考えていると、1つの答えが出ました。

「そっか、私は小説を書くのがずっと楽しいんだ」という事です。

どんな事も1番初めは楽しかったと思います。
小学1年生になって初めて学校に行って、算数のお勉強をした時、単純に分かって面白かった。補助輪なしの自転車に乗れて楽しい。
そんな誰もが持っていた初めての楽しいという気持ち。段々と慣れて消えてしまう気持ち。それが私には今もずっとあるのです。

まさに【下手の横好き】ですね。もちろん今でも小説家には心からなりたいです。初詣の際、神様に必ず祈りますし、私の小説フォルダにはこれまで書いた沢山の小説が何100万文字分とあります。けど、どれも1次選考で落選するような所謂、駄作です。

正直、ここまで来れば立派な【趣味】と言えるでしょう。

だけど、私の中で趣味として認めたくないのは、やっぱり憧れの小説家になりたいという想いがあるからです。


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