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美味しい小説

 先日、ネットで知り合った友人と1時間ほど電話をしていた。

 彼女はパン屋を経営していた。未明の四時ごろに話していた。夜更かしをしていた私と、朝の仕込みをしていた彼女。私からすると翌日に生きているのだ。年代も職業も住所も全く違う。こういう変わった交流もネットならではだよな、と今自分の置かれている不思議な状況に、少し感謝した。

 映画の話をしていたとき(私は詳しくなくて、友人が好きなのだ)、「映画や本に出てくるお菓子を再現するのが趣味なんです」と言っていた。ついこの前、映画を上映して、観終わった頃に作中の料理を提供する、という企画をパン屋で行ったそう。それを聞いて、なんて素敵な趣味なんだろう、と感嘆してしまった。私とは全然違う。いいなぁ、私も人に胸を張れる趣味があれば……と思ったのは別にして、小説の好きな私に、なにか美味しいご飯が出てくる小説はありますか、と尋ねてきたのだ。それをきっかけに、「美味しい小説」はなんだろう、と数日、ふとしたときに考えていた。

ジャコのお菓子な学校

 小学生の頃好きだった本に『ジャコのお菓子な学校』という本がある。これは絵本と小説の中間くらいで、ジャコ、という食べることが大好きな男の子がお菓子作りを始め、レシピや分量計算を通じて、苦手だったことがどんどん出来るようになっていく、という話だ。

 私はこの本が大好きで、何度も読み返しては、クッキーやケーキの心沸き立つような、美味しそうな描写にうっとりとして、作ってみようとしたものだった。(最も、昔も今も、料理が苦手なことに変わりはない)また、この本はフランス語が元で、いつか原書で勉強がてら読んでみたいな、と思っている。

ねこのパンヤ

 家にあった『ねこのパンヤ』という絵本もまた、愛読書のひとつだった。「パンヤ」という猫のパン屋の男の子が友人のトラブルを解決したり、遊びを計画したりと、ひたすらパンを作って売る話。これは完全に絵本で、暖かい色合いの食欲をそそるパンを見ては、この本の中に入れたらなあ、なんて思ったものだった。
 癒される物語に、ほんわかとした絵柄。それこそこの本がパン屋さんとかに置いてあったらいいなあ、なんて。

ハリー・ポッターシリーズ

 美味しそうなご飯であれば『ハリー・ポッター』シリーズも忘れられない。作者J・K・ローリングさんはエッセイで「昔読んでいた小説に食べ物が沢山書かれていたことから、ハリー・ポッターでは食べ物は全て描写を省いていない」とある。作中の食べ物は、どれも食べてみたいと思うものばかりだ。(百味ビーンズはさすがに遠慮したいが)バタービールなんて目を見張るもので、何とか作れないとネット上のレシピを漁っていた時期もある。 
 USJで飲んだバタービールは甘さが合わず、全部飲み切れなかったのが記憶に残っている。

 反対に、美味しそうでない、食べ物の沢山出てくる小説はなんだろうか。

シュガータイム

 小川洋子さんの『シュガータイム』では、異常な食欲を持つ女子大生が主人公だ。彼女の食べるものは事細かに書かれてはいるけれど、どうにも食欲は湧かない。彼女の病的な欲求があるからだろうか。ただ、後半に催された弟との夕食会は、どうにも美味しそうだ。実際にこんな素敵な会合を開いてみたいと夢に見た。テーブルクロスを揃え、カトラリーを用意して、上質な紙の招待状を書いて……。手間と思いやりのこもった食卓って、なんて素敵なんだろう。

日曜日の夕刊

 重松清さんの『日曜日の夕刊』にある『寂しさ霜降り』では、極端なダイエットをする姉と、それと反対に過食が加速する妹が描かれている。ダイエット。それは本当に身近な問題で、色んな小説にもよく顔を出す。
 頭が痛くなるほどシェイクを啜り、ハンバーガーにかぶりつく妹の描写は、決して食欲をそそるものではない。勿論だが、過度という言葉ですら表せない食事制限をする姉の食事も、美味しそうとは言えない。『シュガータイム』同様、病的なものが背景に隠れているからだろうか。

 美味しい小説は、主人公がどういう心構えで食卓に向かっているか、というところも大きいのかもしれない。悲しいことがあると食事があまり美味しく感じられないと言われているように、知らず知らずに、味覚までも主人公に共感しているのだろうか。

 余談だが、雨蛙ミドリさんの『オンライン!』に出てくる、朝霧さんの好きな缶ジュース(?)フルップリン。それは名の通り、缶に詰められたプリンを振って、ゼリー状にして飲むものだ。

 当時このシリーズを愛読していた小学生の私には、これがどうにも美味しそうで、少し遠出したときに自販機で似たようなプリンの飲み物を見つけ、迷うことなく買ったことを覚えている。残念なことに、味は覚えていない。


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