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ギンレイホール閉館

飯田橋の名画座ギンレイホールが閉館した。入居するビルの建て替えのためで、近隣の神楽坂あたりでの再開を目指すそうだが、配信の時代その存在意義をどう見つけていくのか。とにかくまた一つ自分の中の東京が消えた。

ギンレイホールに初めて行ったのは高校3年の時。友人数人と四谷にある予備校の夏期講習に誘われた。四谷なら飯田橋まで歩いて行ける、これは昼飯代を浮かせば映画を観て帰れるじゃないかと、二つ返事でOKした(何て受験生だ)。あの頃の飯田橋には佳作座もあった。さらに、といえばギンレイホールの地下には成人映画館くらら劇場(ネーミングの由来を知りたい)もあった。

「名画座の審美眼によって選ばれた映画は、自分の世界を押し広げてくれ」て「上質な空気を吸える空間。ないとは困る」ので「再開されたらいい空気を吸いに来ます」と最終日に列を作る女性(68歳)の声が新聞に載っていた。こういうコメントに代表させて記事を仕立てるのが大新聞のスカシたところ。「上質な空気」って何だ。

名画座は圧倒的に一人で観に行くことが多かった(ということは当時のいわゆるロードショーはあまり一人で観ていないのだ)。小さな、決して小ぎれいとは言えない空間の入り口は、着飾った封切館では味わえない蠱惑的な香りがあった。これが地下ならその気分はさらに増す(銀座の並木座や池袋の文芸地下など)。4時間、時には5時間の異世界から生還したときの、満足と失望がないまぜになった不思議な安堵󠄀の気持ち。プログラムを手にすっかり日暮れた街に踏み出す初めの一歩が何だか頼りない。封切館では感じられないドロップアウト感が好きだった。そしてデ・ニーロのように肩をすぼめて、ラーメンを食いに行くのだ。

家で日々のしがらみのあれこれを視界に入れながら観る映画、あれはやっぱり違うものなんだと思う。映画館から足を遠ざけてしまったのはまったく自分の不徳のイタすところという他ない。相当数あると思われるあの頃のパンフレットは収納庫の奥深くに眠ったままだ。いつか蔵出しをと思っては、いる。


見出しの画像は「鈴木意斗」さんの作品をお借りしました。




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