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DVを受けた人の話を聞いてきました。【観覧注意】

内容的にあまり楽しいものではありません。
家庭内暴力(DV)になれていない方は
読まないほうが良いと思います。

家庭内暴力(DV)は
しないでほしいとの
願いを込めて書き記します。

彼は朝起きると
今日も生きていると感じているそうです。

この体験をされた方は
今はDVをされることもすることもなく
生きている方になります。

↓↓体験の本文になります↓↓

車が要突するような大きな音の後に
布団から飛び起きると突然殴られた。

衝突したような音は扉が
ものすごい勢いで蹴飛ばされたものだった。

今日も始まるのか、
夜の生き抜くための試練
一般的にはDVや家庭内暴力と呼ばれている。

良くある話だテレビでは
たまに死者がでると取り上げられる。

明日は学校に行かなくてはならないのに
今の時間は23時これから3時までの生き地獄。

殴り手には顔を殴らないとゆう作法がある。
胸、腹、腕、足、は
痣が見えないように叩くコツは
悪いところに当たらないようにすることだ。

私を殴っているのは実行するのは
血のつながった父親である。

母親はすでに殴られて軽く痙攣を
おこしているが生きているようである。

普段はよい父親なのだが、
酒を飲み気に入らないことがあると殴る。

営業で帰ってきて気に入らないことが
あると寝ていようが起きていようが殴る。

テストの点数が悪いと殴られる。

ただ、殴りたいだけなのだと
気が付くまでに10年かかった。

ある時から母親は殴られる前に
恐怖から絶叫するようになった。

それはこの世の思えない人の声とは
思えない音がマンションに響いた。

それからだ、父は専ら私を重点的に殴るようになった。
結果的に母親は精神に異常をきたしたらしく、
家からいなくなることもしばしばだった。

初めて殴られたのは5歳ぐらいだと思う。
大人になって分かったことだが
母のきちがいの状態は
本で調べたところ精神崩壊を
防ぐための一つの作用とのことだった。

小学生の時に担任の先生から
「お子さんにちゃんと食べさせてますか」
と申し送りされてしまう程だった。

7歳の時はキャッチボールと言いながら
硬球を腹めがけて投げつけてくる
何とも大人げない父親であった。

本をよく読んでいたようだが父は自分が頭がいいのに
私の学力の低いことが気に入らないので
勉強は殴られることとインプットされた。

私は自分がおかしくなったと思い
精神薬を服用するようになり
理由はわからないが余計ひどくなった。

後は断片的に19歳迄の
途切れ途切れの記憶が残っている程度だ。

その時にただ一つ思っていたことは、
死なないように生きることだった。

両親が離婚ししばらくして
私は家を出ることになった。

父親は優しいときと
おかしくなる時がはっきりしていた。

母親は殴られすぎて、
父親をみると発狂したように
鳴き叫んだもう狂っていたのだ。

しばらくして精神薬をやめて
食事療法に切り替えた。

30歳過ぎた今でも目を醒ますと
先ず死んでないことを確認する。

父が亡くなった。
不謹慎ではあるが
やっと終わったと思った。

知らせてくれたのは
叔母であったが親族が
集まったときひどく責められた。

私は思いを話て、
「助けてくれと話した」と
言ったところ
「誰も知らなかった」
と回答をしてきた。

母親が亡くなったとき
親戚から母親が掛けた迷惑分の
誠意を示すように言われ
遺産の権利を渡した。

運がいいことに僅かではあるが
遺産を私に渦ってくれた。
そして親戚とは縁が切れた。

彼らの目の前で
私が殴られていても
無視してきた過去は
記憶から消えたらしい。

人の思考は改変可能だと知った。
これが世に言うご都合主義
を体験した。

過去の記憶に引きずられる。

過去の恐怖を夢で見ることもあった。

起きると思うのは

今日も生きている良かった。

ただ、生きた人間は信用できないので

心理学を学ぶようになった。
難しくてよくわからないことも多い。

カウンセリングを
受けることもあった。

相手が怒っているときは
どんな対応すればいいのか
相手の感情に合わせて
人と話すようになった。

人間の特性を
何となくだが
分かるようになった。

なんとか
今日も生きている良かった。

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繰り返しますが、
あまり楽しいものだはありません。
普通の人では体験できない話を
聞いたので書き記しておきます。

どんな世の中でも
うまく生きることが要求されます。

彼は小さなことから学び、
年収が250万から今では600万超えたそうです。

毎日仕事しているそうです。
楽しいとも言ってました。

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