見出し画像

2023年3月 沖縄先島諸島サイクリング旅(西表島番外編 ”知られざるダークサイド・ヒストリー”)

このサイクリング旅の前後に読んだり観たりして学んだ資料を概要編に掲載したが、その中に、

「緑の牢獄 副題:沖縄西表炭鉱に眠る台湾の記憶」黄インイク(Huan Yin-Yu)

という書物がある。沖縄に渡ってきた台湾人については、もともと、「台湾」に対する強い関心を持っている筆者にはとても気になっており、台湾から石垣島などに渡ってきて定住した人たちを追ったドキュメンタリー映像作品、

「海の彼方(After Spring, the Tamaki Family...)」黄インイク(Huan Yin-Yu)

をすでに観ていた。そして、このドキュメンタリー作品を作った黄インイク氏が、八重山諸島へ渡ってきた台湾人を追う第二弾のドキュメンタリー作品として、「緑の牢獄」という作品を制作していたことに気づいて、強い関心を持った。この作品は、2021年に日本各地のミニシアター(ポレポレ東中野@東京他)で上映され、DVDにもなっていることもわかった。DVD版はすぐには観られそうになかった(身近な公共図書館にはなく、市販品もやや高価だったため)が、映像作品の内容を紹介した本人の著作があり、図書館ですぐに手に取ることができた。そこには、西表島での旅の体験からは全く想像できない"暗黒の歴史”ともいうべき西表島の過去が記されていた。日本が明治以降、急速に近代化に突き進む中で翻弄された台湾と八重山諸島、とりわけ西表島で展開された驚愕すべき波乱の物語があった。そのポイントを簡潔に紹介したい。

「緑の牢獄」とは、沖縄琉球新報の記者でありジャーナリストである三木健氏が、西表島の過酷な炭鉱の歴史に対して使った、強く簡潔な表現である。彼は、明治19年に三井物産によって手掛けられてから、1960年台の米軍統治時代まで続いた西表炭坑の歴史の研究を行った。その中に埋もれていた「台湾の影」を、台湾人ジャーナリストで映像作家である黄インイク氏が発掘し、探求した内容が、ドキュメンタリー映像としてまとめられたものである。それは、あたかも”サスペンス”のような内容であった。

数千人規模の西表炭坑は、最盛期、その半分ほどを台湾人坑夫が占めていた。しかし、歴史の流れの中では、「無言」の存在として、痕跡もかき消されていた。この炭鉱につながりのある元台湾人で唯一の生き残りである、「橋間ばあ(江氏緞)」が物語の主人公である。彼女の養父「楊添福」が斤先人(きんさきにん)(=坑夫手配師)であったため、炭鉱の実態をよく見聞きする立場にあった。白浜(西表島の西の果ての集落)(※)の対岸にある内離島(うちばなりじま)が炭鉱島で、みんな「死人の島」と呼んでいた。”西表に行くのは、墓場に行くこと”とも言われていたという。

(※)「サイクリング旅(西表島編)」で、”閉店直前のカフェでベトナムコーヒーとバスクチーズケーキを楽しんだ”と紹介した港の集落

西表島の白浜地区と内離島(炭鉱の島)

明治19年、三井物産の炭鉱として開かれ、八重山地方の服役中の受刑者を坑夫にした。
マラリアで多数が死亡した。
三井物産は手を引いた。
企業、個人が入り乱れて競争開発をした。
大正期にピークを迎えた。

納屋制度や斤先掘制と呼ばれる仕組みで、"組"が採掘を請け負った。賃金は、島だけで使えるクーポンとして支給された。暴力、殺人が日常茶飯事で、脱走すると捕まり、リンチを受け、モルヒネ漬けされた。この状態を、三木健氏が”緑の牢獄”と名付けた。

九州各地の坑夫がうまい話に騙されて連れてこられた。台湾人も同様だ。この炭鉱地獄の台湾人生存者が、石垣島の老人ホームで孤独な老後を過ごしていた。

NHKの1979年の番組「ルポルタージュにっぽん」に、「石垣島の陳さんたち ー石垣島、西表島の台湾出身者たちー 」という貴重なドキュメンタリーが残されていた。この中で、三木健氏が台湾人を含む炭鉱関係者に聞き取りをした録音テープが紹介されていた。

白浜地区では、戦後数十年に渡って、坑夫やその身内の幽霊が彷徨う姿を四六時中見かけたという。

現地を訪れて、現場・現物をいくら詳しく見ても聞いても、重大な事実を知ることは時に至難の技であることを思い知らされた。

加えて、この著作、映像作品を通して、埋もれた歴史を根気よく追求して掘り起こし、謎に向き合い、ドキュメンタリーとしてまとめあげた(※)黄インイク氏という若い台湾人ジャーナリストとそのジャーナリズム精神に強く感銘を受けた。

(※)この映像ドキュメンタリー作品は、ベルリン国際映画祭、スイス・ニヨン国際ドキュメンタリー映画祭などに入選するなど、国際的にも高く評価されている。

(参考)この記事の整理にあたって、
「アジアはひとつ」(1973年)NDU(日本ドキュメンタリストユニオン)
という、復帰前の沖縄に密行して撮影した貴重なドキュメンタリー作品の存在を知った。この作品は、国会図書館も所有していないが、兵庫県神戸市の「神戸映画資料館」が保有しており、資料館を訪れて手続きをすれば視聴できるようだ。

(追記)
NPO法人科学映像館(Science Film Museum)に、西表島炭坑の実態を紹介する貴重な映像資料が保存され、公開されていることが分かったので、ここに記しておきたい。竹富町の企画で、(株)シネマ沖縄が製作した作品とある。このブログ記事で紹介した三木健氏が監修者として関わっている。
また、三木健氏が委員長を務めた「西表島炭鉱の保全・利用を考える検討委員会」が、三木氏の監修のもとに、「西表島の炭鉱」という資料を作成し、竹富町商工観光課から2011年に発行されていた。西表島炭鉱の歴史と実態が詳述されているのみならず、「石炭」の説明、人類の石炭利用の歴史、石炭の世界の埋蔵・生産・利用、西表島の石炭の特徴なども解説されている充実した資料である。
https://www.town.taketomi.lg.jp/sp/userfiles/files/iriomotejimanotankou_1.pdf

   ****  おわり  ****

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?