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 先週の日曜日、近所の小学校で運動会が行なわれていました。私は田舎の出身なので、運動会は”秋の大運動会”というのが常識でしたが、都市部では中学校の受験なども考慮して、春に行なわれるところも多いようです。私が通っていた小学校は、昔から10月の第一日曜が運動会の日に決まっていました。雨で中止になった記憶がありませんので、私が通った6年間は晴天続きだったことになります。

 運動会には良い思い出がありません。生まれつきの運動オンチで、徒競走(ランニング)では、いつもビリか、良くてもビリから二番目でした。運動会の日は毎回憂鬱でしたが、お弁当だけは豪華なので、昼食休憩だけが安息の時間でした。

 最上級生の6年生になると、全員に運動会を運営するための様々な係が割り振られます。例えば、レコードをかけたりアナウンスをする放送係とか、徒競走のテープ係とか、着順が書いた旗を持つ係などです。私が割り振られたのは、紅組・5年生の”お世話係”でした。お世話係は、生徒たちがウロチョロしないように監視したり、プログラムの演目に沿って移動を促す係でした。

 低学年の1・2年生ならお世話が大変ですが、5年生だと聞き分けが良いので、仕事は大変ではありません。5年生の競技が始まると席には誰もいないので、とっても楽ちんです。5年生のダンスの時は問題ありませんでしたが、5年生の競技の時に問題が発生しました。正確な競技名は忘れましたが、タイトル画のように、三人で棒を持ってポールを回りながらコースを往復する競技でした。いつもは人数がピッタリでしたが、運動会当日に1人が熱を出して休んだそうでした。

 五年生の担任が走って私の所にやって来ました。「一人足りないんだ。すぐに来てくれ!」。「僕は6年生ですよ」。「とにかく来なさい!」と有無も言わさず拉致されました。結局、欠席した子の替りに、無理やり5年生の競技をする羽目になりました。5年生の中に1人だけの6年生なので、緊張しました。ただ、この競技は昨年の運動会で経験済みでしたから、要領は何となくわかっていました。

 私がピンチヒッターで入った紅組は、見事勝利しました。紅組の勝利に私が貢献したわけではありませんが、白組には何だか申し訳ない気持ちで一杯でした。

 近所の小学校が運動会と聞いて、およそ半世紀前の記憶が蘇りました。


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