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『幸福の形』と『不幸の形』

『戦争と平和』の著書で知られるロシアの文豪・トルスロイの言葉に、次のようなものがあります。『幸福な家庭はどれも似たものだが、不幸な家庭はいずれもそれぞれに不幸なものである。』

これは、”幸福の形はいつも同じだが、不幸の形はそれぞれ違う”ということを意味しています。確かに、不幸の原因には貧困・コンプレックス・人間関係・親子関係・夫婦関係などなど、様々なものがあるでしょう。西洋の物語には、『マッチ売りの少女』や『フランダースの犬』のような、後味の悪い話がけっこうあります。ひょっとすると、ヨーロッパの人達は”不幸話”が好きなのかもしれません。

トルストイの言葉の”不幸の形はそれぞれ違う”という後半部分には納得できます。しかし、前半の”幸福の形はいつも同じ”という部分は本当でしょうか?。トルストイが何をもって幸福と考えたかがわかりませんが、一般的な”富や名声”を幸福と考えていたのなら、少し考察が甘い気がします。トルストイは伯爵の4男という高貴な生まれですから、庶民のことがわからなかったのかもしれません。

トルストイの名言?に意見できるほどの知識や才能はありませんが、幸福の感じ方は人それぞれだと思います。裕福なだけでは、幸福とは言えません。お金持ちでも不幸な人はいるでしょう。逆にお金持ちでなくても、幸福だと感じる人は少なからずいるでしょう。世界の国別幸福度調査の上位の常連は、一般的には裕福と考えられていないブータンやギリシャなどです。

不幸の形がたくさんあるように、幸福の形もたくさんあるのです。トルストイさん、反論できますか?。

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