「お説教もの」の到達点としてのアニメ「一休さん」

テレビアニメーション「一休さん」は、一九七五年から一九八二年にかけて、東映(現東映アニメーション)の製作で全二百九十六話(!)が放映された。

史実の一休宗純は、室町時代の僧侶。南朝最後の天皇・後小松天皇の庶子であったが、南北朝統一に伴い出家、のち大悟して大徳寺の住職を務めた。しかしガイコツを杖につけて京の町を練り歩いたり、盲目の美女と同棲したりする、パンクな破戒僧としてのエピソードも多く残っている。また、民話の中では「とんち小坊主」として、幼少時の一休がとんちで権力者や悪人を懲らしめる「一休とんち話」の主人公としても知られる。ただし、とんち話のほとんどは創作か、中国古典からの借用である。

さて、TVアニメ「一休さん」は、小坊主であった頃の一休が、とんちで権力者である将軍・足利義満や、強欲な商人・桔梗屋をギャフンと言わせるエピソードが中心である。しかしメインライターを務めた辻真先の力量もあって、
「子どもが大人をギャフンと言わせて痛快!」
だけでは終わらないエピソードも多い。具体的には、
「どんなにとんちが働こうと、所詮子どもの浅知恵に過ぎない」
ことを強調するエピソードが多いのである。
具体的には、以下のような展開になることが多い。

幕府の寺社奉行・蜷川新右衛門(実在の人物であるが、代々新右衛門を名乗っているので、何代目新右衛門かは定かではない)や京都の民衆から無理難題をもちかけられた一休は、とんちで見事にその難題を解決した。……かと思われたが、所詮子どもの浅知恵。一休のとんちは、事態をより悪化させてしまう。
安国寺の外観和尚はそんな一休をたしなめ、一休は覚悟を新たにして、誠心誠意その問題にぶつかる(命を賭けることも少なくない)。その結果としてようやく事態は収拾し、一休は自分の修行不足を恥じるのであった……。

「一休さん」は、「子どもであるがゆえの限界」をしっかり描くことで、単なる「俺TUEEEEEE!」な「お説教もの」との間に、一線を画している。これはやはり、テレビ草創期から現在まで活躍を続ける大ベテラン・辻真先の力量に負うところが大きいと思われる。
「お説教もの」の完成形としての「一休さん」、この機会にぜひご覧いただきたい。



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