ハッタツ当事者に聞いてみよう~ハッタツ民の方舟 第18回(随時更新)

録音

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二人で食べても一人で食べても味は一緒

「味は一緒」「楽しいと美味しいは別」「不愉快な相手と食べても美味しい物は美味しい(経験としてはトータルで不愉快)」
「自分の感情をそのまま表現する」→定型同士の会話には常に意図が含まれるので、ASDの単なる感想が悪い意味に取られがち
自分の言葉/表情を「自分の物」として考えるか「相手の物(共有する物)」として考えるか
「共感して欲しい言葉」が出るべきタイミングで「単なる感想」が出るのがトラブルの元?
そもそも常にいっぱいいっぱいなので、まず自分の感想が口をついて出てしまう?

「月がきれいですね」「足が痛いな」

共感を求める言葉に対して、その言葉を深読みしようとする場合と、単に自分のことを言いたいだけの場合がある。
Aという言葉が出たら、とりあえずBと言ってみたいケースがある→人の話に対して否定から入るように取られることがある
「月がきれいですね」と言ったら、感想を聞きたいのに、月の起源の話がはじまるみたいな?→まず感想を受け止めてくれ
「共感して欲しい」というよりは「経験を共有したい」
→相手の関心に関心を寄せるという医療のテクニックもある
「月がきれいですね」は言ってみれば初対面の挨拶、それに対して「足が痛いな」はかなり関係性を積み重ねた上で出てくる言葉→距離感がバグっていると取られる
単純に余裕がなくて自分の感想を吐き出すので精一杯(あるいは吐き出さずにはいられない)
そもそも月を見ていない(自分しか見ていない)
「報告」という概念は定型には薄いので定型には「足が痛いな」は助けを求める言葉に聞こえる(実際は単なる報告)
メッセージを出すときに「最近どう?」からはじめることがうまくできない
実際にはさまざまなコミュニケーションスタイルがあるのに、一つのスタイルしか認められない人が大勢いる

単に相槌を打つ必要を感じていない?

ASDは「終わった話題」だから相槌を打たない
ADHDはもう次の話に飛んでいる

どうしてそんな(ひどい)ことを(平気で)言えるのか

事実を言った時に、相手がどう(感情的に)受け取るかが想像できない
自分の影響力をわかっていない→相手の受け取り方の問題だと思う

突然壮大なストーリーの結論だけを言われる、説明を求めると物凄く長くなる

頭の中の情報量が多すぎる
1から10まで説明しないと伝わらないと思っている

定型とハッタツ、ではなく個を見ていこう

「ある」側から「ない」はまだ想像しやすいが、「ない」側から「ある」を想像するのはとても難しい
マイノリティ側があげる声はすでに悲鳴なので、「正しい主張の仕方」を考えている余裕はない
しかもその悲鳴が通ってしまうと「悲鳴をあげれば要求が通る!」とマイノリティ側も誤学習してしまう
多様性は単なる状態
お互いの要求をすり合わせるのではなく、少数派にガマンを要求することが多数派側にはある?そして限界に達した少数派はとてつもない(音量も内容も)悲鳴をあげることになる
とりあえず認識のための指標として置かれた診断基準が、結果的に分断を煽ることもある
目の前の個を大切にするのが、みんなで生きて行くヒント?
「そうなんだ」という受け止め


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