ASDの自分勝手さについて(随時更新)~ハッタツ民の方舟 24回

ここでは参加者の皆様に自責を求めているわけでも、他責を奨励しているわけでもありません
特性と自分自身は切り離して話しましょう

ASDの自分勝手さと定型の自分勝手さは別物
他者に心があることが直観(×直感)できない特性から来る自分勝手さ
ASDの自分勝手さは他が見えていないからなので、ある意味微笑ましくもある
しかしされた方からすると「私心なき傍若無人」「サイボーグに蹂躙された」となる
『自閉症スペクトラムの精神病理』(内海健)

相手の気持ちを考えたくても考えられないので、自分勝手に振る舞うしかない
ASDが自然に(自分勝手に)振る舞うことは、定型から見たら「こっちの気持ちを知ってて踏みにじる行為」に見える

「ちょい子布団ここがいい」事件
定型の持つ共通認識と、その人(ASDではなくあくまでその人個人)の持つ共通認識とのズレ

みんなが思っていても言わないことを言う
極端なルーティンを守るために、周囲の人間を意識的/無意識に巻き込む
相手のためになると思ったら(相手の意志を無視して)してしまう(境界線の問題?)
自分のことばかりしゃべるのは、ワガママだからではなく、脳内に溢れる物が多すぎるから
他人に気を使わないのではなく、興味がないだけ

「模倣の困難が発達障害(ASD)のはじまり」
「模倣の困難に加え、他者視点の獲得の困難がさらに模倣を困難にする」『心の理論 自閉症の視点から 上下巻』(サイモン・バロン・コーエン、八千代出版)

ASDの「目の前の相手の気持ちがわからない」がゆえのしゃべり過ぎなのか、ADHDの「脳内にあるものを吐き出さずにはいられない」がゆえのしゃべり過ぎなのか、複合なのか
主語を自分以外にすることがうまくできない

「みんな」と共通認識がズレる(持てない)
本来なら模倣の積み重ねで育成される社会性が育成されない

他人に興味を持つことで自分勝手さも改善されていく?
特性なのか?
それとも未熟さなのか?
やがては成熟するものなのか?
ASDもハッタツするので、人間関係に飛び込んで経験を積むことで成熟を目指す
トークアプリは便利な道具(ただし危険も多い)
身の回りに安心安全な環境(安全基地)を構築できるのが一番いい

事前に積んでおいたもの(読書や映像などのバーチャルな経験)が、いざ飛び込んだ時に助けになるかもしれない

社会/人間関係に飛び込んで経験を積んでも、経験率(経験から学ぶ率)が低いと成熟しづらい
自己理解と自己覚知が必要

定型文化とASD文化は違う
どちらかが正しいわけではないから共存しよう→ニューロダイバーシティ
ただしASDにはあまりにも(社会的に)未成熟な人が多い
自分勝手さ≒幼さ?
※人は一人では生きられない

ものすごくざっくり言うと、自分勝手さに意図があるのがパーソナリティ障害、意図がないのが発達障害

自分は何に対して「自分勝手」と思うか
セルフイメージと相手から見える自分のズレ
「された」だけでなく「何をされたら自分勝手と思うか」についても考える

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?