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多種多様な学生・生徒がいて、多種多様な教職員がいる。学園の魅力は、それぞれが輝くこと。

学校法人 電波学園
小川 明治 理事長

この度、行動指針「With」を学園全体で共有するにあたって、小川明治理事長にお話を伺いました。ご自身の経験からのメッセージ、学生・生徒、教職員への想い、行動指針をどう捉えていくか、エピソードを踏まえフランクにお話しいただいた内容を記事にしています。皆さんが、行動指針「With」を捉えていくうえで、参考になれば幸いです。(alldenpa編集部)

学園創立60周年から「ありがとう、と言われること。」が浸透し、学園の一体感が高まった。

「60周年を機にスローガン『ありがとう、と言われること。』を学園全体で共有し育んでいく中で、学園の一体感が高まりました。以前は、個々の学校ごとでの運営が基本で、中々学園全体の視点でという感覚には至らなかったと思います。そこから、このスローガンのもとに、学園として捉える意識が芽生え、皆さんが日々粘り強く、ドロ臭く、努力されてきた甲斐あって、学園全体の成長に繋がりました。その変化を感じ取っていく中で、やはり学校というのは教職員の意識が一番大切だなと、改めて感じているところです。胸を張って、『電波学園の教職員は、ドロ臭くて素晴らしい』と内外にメッセージできる自信をもらいました」。

仕切り直した教員生活。再出発当初は、あまりの理不尽さに毎日辞めようかと思っていた。

大学を出て、1969年に学園グループの高等学校に入職するも、3年で実家の家業へ転職。しかし…。
「取引き先が大きい規模の会社だったがゆえに、オイルショックの影響も激しく大幅なコストダウンを強いられ、耐え切れずに会社を辞めようと思って最初に入職した高等学校の校長に相談したんです。『どこか雇ってくれる学校ないでしょうか?』と。そしたら『戻ってこい』と」。
こうして、仕切り直しの教員生活がスタートする。
「戻していただけたのはありがたかったですね。ただし、一番大変な学校へ配属するぞ、と『東海工業専門学校』へ配属されました。当時、その学校は生徒がやんちゃというよりは、校長がやんちゃでして(笑)、まぁ、中々いないレベルのやんちゃっぷりで、随分鍛えられました」。

小川理事長の授業の様子

「これは無茶だ」と思っても、「何か理由があるだろう」と探求していく中で発見もできたし、その後の困難を乗り越えていく力になった。

「2年目から教務として校長のそばにつきました。コピーひとつとるにしても、濃度を間違えると怒られる。しかも日によって基準が変わる。書類を綴じるにも、ホチキスかクリップかで、間違える…というか校長が思っていたのと違うと怒られる。これも日によって基準が変わる。また、テニスコートをつくろうとなって、それなら、締固めができる最良の土を探せと。また、その土を入れたら、ならすのにトンボをつくれと、ドンドンやったことのない仕事を依頼されたりしました。ある時、『テストの採点で使う赤ペンは、ボールペンが良いのか、サインペンか、赤鉛筆か考えたことがあるか?』と問われたんです。考えたこともなかったので適当に答えると、やっぱり怒られる。ほんと、嫌になりましたが、よくよく聞いていくと、確かに屁理屈で我がままだけど、理論的な部分もあるんですね。どんな小さな行動にも理由がある。ベストを探求し続ける勇気と、やればできるという自信がつきましたね。この時の経験は、その後、理事長に就任してからも、困難を乗り切る大きな力になっていると思います」。

52年間付き合ってる生徒たちと

52年間付き合ってる生徒たちがいる。一生涯の絆が生まれる機会も現場にはある。

高等学校に勤務して1年目は副担任、2年目に担任を持たせてもらえることになった際、強烈なアプローチを当時の校長に試みる。
「『生徒への想いの強い教員には、意欲の高いクラスを持たせてください!』と、校長に言ってみたんです。若くて生意気だったんでしょう。そしたら、本当に優秀な1年生のクラスを持たせてくれた。それはそれは、張り切りましたね。お昼休みにも計算尺の特訓をやったり、どんどん追い込んでいったんです。生徒もはじめは嫌がってたんですけど、徐々についてきてくれるようになって、自分も生徒も一緒になって頑張った覚えがあるんです。でも、このクラスは、2年生までしか担当しなかった。生徒が3年生になって『どうしてあと1年持ってくれなかったのか?先生と一緒に修学旅行も行きたかった!』と言われ、とても後悔しました。ですが、実はこのクラスの7名と、今も付き合ってるんです。この生徒たちは68歳ですよ。年に数回一緒に飲むんですが、お店に行くと『先生、こっちです』って呼ばれて、お店の人は『先生ってどこよ…?』みたいにビックリされます(笑)。今年77歳で喜寿を迎えるので、お祝いしてくれるらしいんです。一生涯の絆だとありがたく感じています」。

生徒たちに、自分はいったい何を提供できたのかと、自問してみる。

卒業まで担任して、送り出したわけでもないのに、この絆はどこから生まれてきたのか、自問していく中、小川理事長はこう考えたと言う。
「本気だったんでしょうね、生徒に向き合うことに。それをしっかり受け止めてくれたからこそ、52年もの長きにわたった絆がある。生徒は、教員を全力で見てます。これは、本気なのか、うわべの態度なのか…、絶対見抜きます。生徒たちに強く響く何かを提供できたから、卒業後も長きにわたって関わることの幸せを共有できる。こんな、嬉しいことはないですよ。2年前に女房を亡くし、今一人暮らしなので、たまにこの生徒たちから電話がかかってくるんですよ、『先生、一人で寂しくないか?』って…、ほっとけって(笑)」。

共に行動しなければ見えない。これは生き様の一つになった。

「高等専修学校の名古屋工学院専門学校高等課程が、全国高等学校定時制通信制軟式野球大会で優勝したことがありました。決勝を神宮球場でやって、見事に全国制覇したんです。でも、彼らのユニフォームは併修する通信制の高等学校のもの、校歌も校旗も自分たちのものではない。当時、高等専修学校は、保険(日本スポーツ振興センターの災害共済給付制度)にも加入できなかったんです。それが理由で実際の学校名で参加できない。本当に可哀想でした。せっかく優勝したのに。彼らの悲しみ、悔しさは痛いほど伝わってきました。二度とこのようなことは絶対にないようにしたいと決めました。それから、日本スポーツ振興センターに掛け合ったり、政治家に陳情に行ったり、けっこう頑張ったんですが中々険しい。でも、念じ続け行動し続ければ、いつかは叶うものです。25年かかりましたが、2013年に認可を受けることができました。生徒も教職員も、すごく喜んでくれた。共に行動したからこそ、喜びも悲しみも共有できる。私の生き様の一つになりました」。

親なんだから、親バカで当たり前。怒られてばかりでは辛いが、褒められたら親も嬉しい。

保護者を呼んで話をしなければいけない時は、大抵、叱らないといけないことがあるか、何かしらの指導をする場合が多い。そんな時でも、愛情をこめて接したいと小川理事長は言う。
「まず、褒めてあげられるところを見つけてから面談に臨むんです。だいたいは、中学校時代からずっと怒られ続けてきた子が多い。親もずっとそれに付き合ってきているので、面談の最初に褒めると、すごく喜んでくれるんです。すると、そのあとの話もすんなり聞き入れてくれる。教員も若いうちは、『あの親は親バカだ』とかよく言うけれど、親の立場になってみれば分かります。いきなり『お宅の息子さんは×××』とか否定的なことを言われると、それは親も怒るだろう、『お前に言われたくない』と。ある時、正義感の強さから人のケンカまで買って出る子と面談することがあって、最初にその正義感の強さを褒めてあげると、お母さんが『初めて褒められました』と喜んでくれた。親なんだから、親バカで当たり前なんです。一見、荒くれ者に見えても、根が優しい子が多いんです。その子も、学校に来ない時に電話したら『飼ってた金魚が死んだんで、悲しいから休みます』なんて言ったりするんです。『バカもの、すぐ出てこい』と言いましたが(笑)、そんな優しいところもあるんですね。こころの中に飛び込んでいかないと分からない」。
学生・生徒たちとこころを通い合わせ、絆ができる。これは、他の仕事にはない大きな喜びだと、小川理事長は表情を緩める。

伝わりにくいことを何とかして伝えよう。日々考え続けていると、ちょっとしたヒントに出会える。

小川理事長の専攻は数学。特に苦手な子が多い科目で、聞いてくれない生徒をいかに振り向かせるか。日々悩みながら工夫していったと振り返る。
「みんな、数学嫌いなんですよ。一方的にしゃべるだけでは伝わらない。オーディエンスである生徒たちが、どんどん遠ざかるのを感じるんですよ、授業をしていて。何とかして興味を持たせようと、因数分解の授業に果物を使ったことがあるんです、XとかYとかじゃなくて。そのクラスの担任が五島列島出身なもんですから、『これは、五島列島のリンゴだ』とか言って。何か、興味を持ちそうな物語というか、ネタというか、そんなものを織り交ぜながら聞く気になるように話していくと、いい気配になってくるからこっちもノッてくるんです。生徒たちと、一緒に分かりやすい授業をつくっていると捉えれば、創造的で面白い。日々粘り強く探し続けていると、ちょっとしたヒントに出会えると思います」。

最終的には自分自身で越えるしかない。学生・生徒がその力を身につけるためのサポートを。

面倒見の良さが、学生・生徒自身の自立を遅らせてはならない。最後は、自分自身で越えていかざるを得ない。それを前提に関わる難しさについて小川理事長はこう言う。
「支えてあげることは、とても大切です。でも、最終的に乗り越えていくのは自分自身ですから、その力をつけてあげることがとても重要。そこを本人にも気づかせ、覚悟して行動できるように導いていきたいものです。例えば、休み時間に職員室に来るのは、いじめられている可能性が高い。食事を一緒にすれば、家庭環境の変化に気づけたりします。共に居ることで、感じることがあったら、学生・生徒と一緒に解決に向かって考えていきたい。追い込んでも離れてもいけない、最後は、やはり自分自身の在り方だから。こうしなさい、ああしなさいと言ってもできるわけがないんです。まずは、じっくりと話を聞いてあげる。これが、サポートの根本ですね」。

一人が100%。一人ひとりの尊い人生を複数の階層でフォローする。

「私が昔からよく使う言葉で、『一人が100%』というのがあります。たとえば、40名のクラスのうち一人が退学すると言い出した時、『まぁ一人くらい良いか』と受け流すか、『尊いこの一人の人生に何かフォローすることができないか』と向き合うのでは、大きな違いがあります。その一人の学生・生徒の背景には、親御さんや兄弟、友人などがいて、これからの人生を歩むうえでとても大切な環境がある。どこまでコミットできるかは、難しい部分もあるかとは思いますが、40名全体に漠然と向かうのと、個々の人生に向き合って関わるのとでは、その子の人生に与える影響が大きく異なると思います。担任が面倒を見られなかったら、クラブ顧問が見る。クラブ顧問が見られなかったら、教科担任が見る。学校全体で、誰かがフォローできるような環境づくりが大切だと言ってきました。教職員も一人で抱えるのではなく、相談し合える環境であってほしいですね。子供たちが大切なのはもちろんですが、教職員のこころもとても大切ですから」。

見られていると食事ができない子が、「先生、食べよう」と、どら焼きを持ってきてくれた。

「修学旅行で沖縄へ向かう客船の中でした。『先生、一緒に食べよう』と、どら焼きを持ってきてくれたんです。それは、みんなと一緒に食事ができないため、お腹が空くだろうと、お母さんがその子に持たせた大切などら焼きだったんですね。嬉しかったですね。それまで、どんなに一生懸命話しても、中々こころを開いてくれない。食事の時は壁に向かう。自分が食べるところを人に見られたくないという気持ちが、まったく離れなかったんです。それが、一緒に食べようと。私を受け入れてくれたんですね。彼の精一杯の『ありがとう』だったんだと思います。その時は黙々と食べていましたが、本人にとっては、大きなチャレンジ。変化のチャンスをつかんだ瞬間だった。卒業後、なんと彼は、自動車の営業マンになったんです。びっくりしましたね、人前でしゃべれない、食事もできなかった子が。人って変われるもんだと確信しました。そして、本気で生徒の気持ちを分かろうとすれば、真心は伝わるんだということを、逆に彼から学ばせてもらいました。子供たちは、磨けば輝く原石です。学生・生徒を一生懸命磨くことで、我々もまた磨かれる。このマインドは、忘れたくないですね」。

「現場に強い理事長になる」この想いが、帝王学への悩みを吹き飛ばしてくれた。

理事長になりたての頃、経営という階層で思考していく中、帝王学についてどう取り組んでいくかを悩んだ時期があったと言う。
「学校法人を代々経営されてきた家系の理事長とお会いする機会があり、『自分は、帝王学を学んでこなかったので、お話を聞かせてほしい』と投げかけたところ、『そのままでいい、君は現場をよく知っているじゃないか。現場に強い理事長になれ』と言っていただき、吹っ切れたんです。高等学校・専門学校も知っているし、様々な立場でマネジメントもしてきた、“現場に強い理事長”。それが、自分自身のスタンスだと確信しました。法人の本部は現場を支えるためにある。一番は、”現場”。学生・生徒、教職員を大切にする学園であり続けたいですね」。

今回の行動指針も、画一的に捉えず、個々にとってのベストを探求してくれればいい。

「学生・生徒も、教職員も多種多様です。今回共有した行動指針はあくまで基本的な考え方であって、それぞれが想い描くベストを探求してくれればいいと思います。学生・生徒の目線に立って本気で関わっていく中に、いろんな発見があると思います。子供たちは待ってます。本気で分かろうと覚悟を持って接してくれる先生を。それぞれの大切な人生を磨き上げ、そして、自身も磨かれ、一人ひとりが輝く学園であり続けましょう。ドロ臭く、ウザがられても関わり続ける…。また、適度な距離を取りながらも包容力を持って見つめ続ける…。いろんな関わり方があるかと思います。どんな関わり方をするにしても、根底に愛情があればきっといつかは絆が生まれると、現場出身の私は確信しています。『ありがとうを送り合う』、そんな学園としてこれからも共に歩みを進めていきましょう」。

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