インタビュー 村上浩康映画監督 「映像世界の追体験こそ、映画創りの核」(2)

神奈川県の中津川で動植物の保護と研究に取り組む二人の老人を追った「流 ながれ」、岩手県盛岡市・高松の池に集まる人々たちを描いた「無名碑 MONUMENT」など、独自の視点で切り込んだドキュメンタリー作を世に放ってきた村上浩康監督。映画をこよなく愛し、ドキュメンタリー映像作家として我が道を行く村上監督の自身の作品や映画作りへの思いを語ってもらった。

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ドキュメンタリー映画「流 ながれ」の監督に きっかけは野鳥撮影

村上浩康監督作品 映画「流 ながれ」
公式サイト http://www.nagale.info/

――フリーになられた後、監督は「小さな学校(篠原小学校の記録)」の編集、代表作「流 ながれ」など、ドキュメンタリーを本格的に作るようになられたわけですが、これら作品について、伺いたいと思います。まず、撮ることになったきっかけは?

村上:フリーになってからある映像制作会社で仕事をしているときに、後に「流 ながれ」を一緒に作る能勢広カメラマンと出会いました。それで、能勢さんが「流 ながれ」の舞台である中津川でヤマセミという珍しい鳥を撮っていて、監督がいないのでやってくれといわれたんです。

ちょうどそのとき、僕は鳥の写真を撮ることにはまっていたんです。親が通販で買ったカメラをもらっていたんですが、ある日、突然カメラをもって出かけたくなった。それで、松戸に行ったんです。矢切の渡しを渡って、川沿いの田園地帯に行ったら、目の前にキジが出てきてびっくりしてバシャバシャ撮っていたら、ものすごく面白くて

 以来、毎週鳥を撮影しに出かけました。本を買って、関東の野鳥スポットをほぼ3か月間毎週回って、仕事より一生懸命やっていましたね(笑)。だから、能勢さんからの話を「ああ、鳥を撮っているなら、ぜひやります」と引き受けました。結果的にそこで撮った映画「流 ながれ」では鳥を撮るのではなく別の方向にシフトしていったんですけれど、それがきっかけで、ドキュメンタリー映画を撮るようになっていったんです。

――撮った順番は「小さな学校(篠原小学校の記録)」「流 ながれ」はどちらが先ですか?

村上:「流 ながれ」を撮っているときに、並行して能勢カメラマンが「小さな学校(篠原小学校の記録)」を撮っていて、僕も何度か手伝いに行ったことがありました。当時、この作品は別の監督がいらしたんですが、その人が降りてしまった。その後、能勢さんがドイツに1年留学することになって、学校の父兄の方や地域に来るボランティアの方にカメラを渡して撮影方法を教えて、その方たちが撮っていたんですが、能勢さんがドイツに行った後、「どうしてもうまく撮れないので、もう一度教えてほしい」といわれて、一緒に撮ったこともありました。そうしたこともあって、篠原小学校の雰囲気はわかっていたので、映像をまとめる段階になって能勢さんから頼まれて、僕が編集しました。

中津川を守る翁(老人)二人を10年撮り続けた「流 ながれ」


――「流 ながれ」は、中津川で自然保護をされているお二人のおじいさんを追っていますが、そのうちの一人のカワラノギクを守るおじいさんの吉江さんが、映画の中で表情がどんどん変化して、最後には本当に高貴というか、聡明なすごくいい顔をされていたのが印象的だったんですが、ああいう表情はどうやって撮ることができたんですか?

村上:それはやっぱり、長い付き合いの間ですね。最初はやはり気を許しません。吉江さんは節度を持った方で、家族のことやプライベートなど、自分のことは一切お話にならなかったので、私たちもそれを尊重して聞かなかったですね。だから、いまだに吉江さんがどういう方かはわからないです。話してくれたのは、カワラノギクのことと、若いころに中国にわたって、8年間中国の戦線にいらしたこと

カワラノギクの花

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田下啓子

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