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モスリン橋について

1 モスリン橋というもの

「モスリン橋」というものが存在することを知ったのは、NPO法人京都古布保存会のコレクションが「大阪住まいのミュージアム(大阪暮らしの今昔館)」で展示された時のことです。モスリン橋は、モスリンの工場へ行くためにかけられた橋ということでした。

これがモスリン橋です。

モスリンのことを書くからには、橋も自分の目で確かめなければ!と思い立ち、モスリン橋の場所を調べました。モスリン橋は、とても不便な場所にありました。阪急神戸線・JR東海道本線・JR福知山線に囲まれたエリアであるにもかかわらず、どの駅からも遠いのです。一番近くを走っている鉄道は、山陽新幹線でした。

モスリン橋がかかっている川は、神崎川です。モスリン橋の北約1キロの地点で、猪名川と藻川が合流し、更にモスリン橋の西400メートルの地点で神崎川に合流しています。3つの川が合流する地点にあるのがモスリン橋です。

橋を渡ります

さて、実際に行ってみるにあたり、どの駅から行くかを検討しました。JR東海道本線なら加島・阪急神戸線なら神崎川です。加島からは直線の道がなく、神崎川からだと川沿いに1キロ近く歩くことになります。いろいろ迷った末、十三からタクシーに乗ることにしました。

タクシーで約20分、目の前に現れたのがこの「モスリン橋」です。正確には「毛斯倫大橋」。橋に名前が書かれています。十三から川の南岸沿いに行くと、こちら側は大阪府大阪市淀川区加島、対岸が兵庫県尼崎市戸ノ内になります。つまりモスリン橋は大阪府と兵庫県を結んでいるのです。

橋にも名前があります。

毛斯倫大橋は「毛斯倫紡績」という会社が大正12年(1923年)工場を設立した際に架けた私設の橋であったそうです。私設の橋というもの珍しく、当時はそれだけモスリン業界の景気が良かったということでしょうか。

最初の橋は木製で、現在の橋は3代目にあたるということです。

モスリン橋を渡ってみました。特に変わった特徴もないコンクリート製の橋です。予想していたより幅も広く、欄干も立派で広い歩道もついています。対岸までは約150メートル、向こう側には団地が並びます。団地を過ぎたところで、とても面白いものを見つけました。

モスリン橋交番

交番です。ただの交番ではありません。「モスリン橋交番」と書かれています。その上には「兵庫県尼崎市警察署」とあり、これが正式名称のようです。交番の名前までつけてしまうモスリンの偉大さに感動しながら更にいくと、ゴルフ練習場がありました。このあたりが橋をかけた「毛斯倫紡績」の跡地であるようです。周辺は住宅や店舗が並び、昔のモスリン工場の面影はありませんでした。

立派な橋です

最近は軍艦島など、産業の跡地も観光の対象になっていると聞きます。せいぜい150メートルのコンクリート製の橋ですが、モスリン橋もまた明治・大正に急成長した日本の毛織物工業の遺構であると言えるでしょう。

似内惠子 NPO法人京都古布保存会代表理事
(この著作権はNPO法人京都古布保存会に属します。無断転載を禁じます)

【参考サイト】
NPO法人京都古布保存会HP

NPO法人京都古布保存会FB


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