ホン雑記907「果てしない陽炎」
昨日、いきなり脳裏の奴に、
(初心忘るべからずってどういう意味?)
って降りてきた。
それっぽいものを見かけた記憶もないんだけど、気になったんで軽く調べてみた。
元々は、600年ほど前に能を完成させたと言われる世阿弥さんの著作の中に出てくるみたい。
彼の生涯を通じての芸術論をまとめた『花鏡』という集大成があり、その最終章にこうある。
そうなんじゃよ。そもそも3つあって、その中の最後だけがことわざとして伝わってるんだね。
オレのイメージでは単に「だらけずに最初みたいにシャキッとやらんかい」という小うるさい小言のようなものだと思ってたんだけど、どうやら様子が違うみたい。
「是非の~」は、初心者だったころの芸を忘れずに判断材料としなさい、であり、
「時々の~」は、その時々にふさわしい芸に挑むということは、その段階においては何事も拙さがあるということであり、
「老後の~」は、はいそうなんです、察しがよろしいようで。つまり、芸が完成することはないということでおますわな。
あぁ、作り手にとってこんなに優しい(少し厳しい)言葉があろうか。能を完成させたと言われる彼が、最後まで初心があるというんだね。ただの「調子に乗るなよ」「だらけるなよ」じゃないのだった。
90歳で亡くなった北斎は今際の際に、
「あと10年、いや5年の命があったなら、本当の絵描きになることができたのに」
と遺したらしいけど、それに似た慈悲を感じるよね。
いや、最近ね、鍵盤とお歌の練習にハマってきたのはいいんだけど、やればやるほど、「なんで10代から、いや20代からでもちゃんとやらなかったんだ」と毎っっっ回思うわけよね。結局やっても襲ってくるやつがいるのよ。
そのたんびに「いやいや、もっと遅くなくて良かった。し、だいたい、いましかその気にはなれなかっただろう」(嫁の病気で命の残り時間が限られてることを思い知らされましてな。いや嫁のほうは息災でおま。ご心配なく)と思い直すんだけど、毎っっっ回また、思っちゃうわけ。
ってことは、「こんなことは一生やるんだろうなぁ、はぁ」なんて思うんだけど、おこがましいかもだけど、いや、おこがましくはねーよ、この感覚と同じライン上に彼らもいたんだろうな、とも思う。
つまりオレがすごいって言ってるんじゃなくて、彼らが自分をすごいとは思ってなかっただろう、ってことなんだね。
たぶんどんな著名人でも、一見うらやみたくなるような人でも一緒なんだろう。相手が手の届かないステージにいると思うのは幻影で、みんな恐怖に対して必死に生きてるんだろうね。
練習にハマったらハマったで恐怖が増えるのと同様、その道で著名な人たちも一段登ったら登ったでそこから堕ちる、もしくは成長の陰りが見えだした時の恐怖もハンパないんだろう。
つまり生まれてから死ぬまで、どこに立ち位置を置いていようがあまり変わらないってことなんだろうね。
いまこの時を、私は生きてゆきます。
って、なんそれ。
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【今日の過去曲】
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