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主要5教科のうち、英国数の方がむしろ重要じゃない説

思いつきの備忘録として。

よく主要5教科って言うじゃないですか。

英・国・数・理・社 ですね。

そのうち「英国数」はいわゆる積み重ねが必要みたいにも言いますよね。この3教科が重要なんだって。で、社会・理科は暗記教科だ〜とか、これはばっかりやっても意味ないんだ〜とか。

ちなみに僕は社会・理科が好きで、英国数はほったらかしでした。

でもやっぱり、個人的に「英国数」の勉強の方がむしろ重要ではないと言えるんじゃないかと思っているんです。そのわけを適当に書きます。

社会・理科は暗記教科とか言ってる人はゼッタイちゃんと勉強したことない人

文系でちゃんと勉強してる人ならわかると思いますが、社会ほど奥の深い分野はないですね。誤解を恐れずに言えば、政治経済・倫理に正解はないんだし。だから最も難しい分野だと思う。

これは、教育学を学ぶ者として、あるいは政治や社会問題全般を専攻する者としてそう思うという話だけど(理科のことはあまりわかんない)。

ただ、だからと言って、僕は今でも英語や国語をないがしろにしているわけじゃないです。

むしろ、いわゆる「社会」という分野があまりにも難しすぎるもんだから「英語」を使って海外の文章を読んだり、日本語(国語)の読解力が必要だったり、「古典」をいろいろ引っ張り出してきて勉強しなければ、「社会」のことがわかりっこなかったんです。

そう。僕がこれまで感じてきた違和感はこの言葉に尽きます。

英語・国語・数学って【目的】じゃなくて【手段】じゃね?

社会とか、理科とか、これまで「暗記教科」って呼ばれてきた分野は、むしろ全く逆で、あまりにも難しすぎるんです。

難しすぎるあまり、英語・国語・数学という手段を使わないとしっかりと理解することができない。

でも、逆に言えば、教養程度にというか広く浅く程度に学ぶだけならこの高等テクニックとしての「英国数」という手段は必要ないと思えてしょうがないんですよ。実際数学なんてできなくても生活に困りませんよね。

英国数は必要だと思った人だけが、必要だと思った時からスタートしてもなんの問題もない。

別に楽しくて英語やるとか、趣味で古典読むとかそう言うのは全然否定しませんよ。

でも、積み重ねが必要だからって嫌がる子どもたちに無理やり「英国数」教えることはないでしょうよ、ってどうしても思っちゃんです。

なにせ「積み重ね」ですからね。勉強が最初からずっと楽しいわけじゃないし、「なんで勉強しなきゃいけないの?」って絶対思ってやらなきゃならない。

これには死ぬほど異論が出ると思いますが、これへの反論をしようとすると権利論とか教育の原則論を話さなければならないので別の機会にします。

とにかく言いたいのは、英国数理社の中で「英国数」が重要みたいな雰囲気ありますけど、それ違くない?ということです。

なんなら、個人的にはむしろ逆で、「理社」が最重要で、その中でもそれを極めたい人が「英数国」を必要とするようになる、ってイメージの方が近いんじゃないかってことです(だいぶ誤解を恐れず大雑把に言ってますよ)。

めちゃめちゃ根本的なことを言えば、そもそも勉強とか学びなんてものは「必要になったら学ぶ」って方が全然自然なんですよ。

望んでもないのに勉強しなきゃいけない「学校化」された雰囲気の側がおかしいんですよねえ。

辛い勉強はしなくたっていい(だって学びは権利であって義務じゃないもん)。

社会理科すらも興味なければ勉強しなくて全然いいけど、英国数よりは勉強してて辛くないんじゃないかなあ。なにせ「積み重ね」じゃないですからね。

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