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学校という収容所

先日、道を歩いていると公園らしき場所が見えた。そこで一休みして行こうかと思っていたら、どうやら入り口がなく限られた門からしか入れないようだった。そこは中学校だったのである。まさにこの写真のような感じ。

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私はふと思った。近代社会以前(学校制度が存在しない時代)の人がこの学校を見たら、一体何に見えるのだろう?きっと収容所や隔離施設ではないだろうか。学校は通常、子どもが勝手に出ていかないように全ての面をフェンスで覆っている。私はこれがかなり不自然な構造であることを今まで気づかなかった。これは精神病院と同じ構造をしている。また、他に似ている施設として挙げられるのは刑務所やアウシュビッツ強制収容所などだろう。子どもが勝手に出て行ってしまっては、心配だという気持ちはわからないでもないのだが、フェンスは無くした方が良いだろうと思わずにはいられない。

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↑アウシュビッツ強制収容所。学校の様。

精神病院は塀を壊した!学校もフェンスを壊そう!

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かつて、バザーリア法と呼ばれる精神病院の解放を求めた法律の成立によって、イタリアでは精神病院の塀が取り壊された。「自由こそ治療だ」を合言葉に、隔離を求めてきた世論に負けることなく精神障害者を地域社会に解放したのだ。もちろん、それによって慣れない人々との間でトラブルも起こる。それでも、トラブルが付き物なのが自然な人間関係でもある。そのような社会に、誰しもが生きる権利を持っている。障害者だけ隔離される道理など存在して良いはずがない。そして、この話は「子ども」にも当てはまる。子どもは毎日同じ時間に、同じ教室や学校に「隔離」される必要はない。それぞれが自由に学び(あるいは学ばないことも自由)、自由に学校に来たり、帰ったりして良いはずである。フェンスはこの自由を拒む象徴であろう。フェンスは子供の自由を奪ってきた。地域社会に開かれ、学校の支配から解放してこそ、子供の人権と尊厳は取り戻せるだろう。

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