見出し画像

小学校、教科担任制の是非

ちょっと前に新聞で読んで悲しくなりました。

また教員は「専門家」への道を一歩進めてしまった。。。泣

小学校、教科担任制の是非

先に前提にしておきたいのは、義務教育とは一体何なのかということです。

よくある話ですが、義務が課されているのは保護者であって、子どもが持っているのは教育を受ける「権利」です。だからその権利を行使するかどうかはその子ども次第だし、休養する権利だって認められています。

そして、最も大切なのは義務教育は何を勉強し、その成果を評価して卒業を認めているわけではないということです。

これを年齢主義と言います。

あくまで15歳になったら保護者が子どもを学校に通わせる義務がなくなるだけで、一定の学ばなければならないことがあって、それを「修了」することで卒業資格がもらえるというわけではないのです。

高校や大学は単位を取得して、教育課程を修了しなければ卒業したことになりませんよね(課程主義)。小学校と中学校はそこが根本的に違うということです。

義務教育は「どれだけ学んだか」を重視し始めた

義務教育は何を学んだのか、どれほどの成果を上げたのか、をそこまで重視しないはずなんです。

歴史的には、それよりも働かされていないか、保護者に学校に行くことを妨げられていないかという方が重要です。

昔は「女性は教育を受けなくて良い」という価値観が日本でも残っていましたから(途上国ではもっと酷いですが)、「義務」教育にしないとそういう子どもたちが搾取されてしまうということになりかねませんでした。

そういう意味で「義務」としているわけですね。今でも家庭によって様々な事情があるでしょうから、義務教育は意味のある制度だと思います。

でも、今学校はそういう背景を忘れて「何をどれだけしっかり学ばせられるか」に主眼を置いています。

小学校の教科担任制はまさにそれを象徴していると私は思います。

不登校を増やす教科担任制

不登校は問題視されます。そもそもその考え方がどうなんだと個人的には思いますが、いったんそれはおいとて。

勉強の内容がより専門的になる(進捗が速くなったり)わけですから、ついていけなくなって学校に通いづらくなる生徒も出るかもしれません。

フリースクールの支援を進めていくことなどは大切だと思いますが、「不登校を生んでいる学校側の責任、原因は一体何なのか」という問いを忘れてはなりません。

今の教育行政はむしろ、良かれと思って「不登校児の居場所」なるものを作り、学校から排除しているように見えます。

教科担任制は学力競争を加熱させるでしょう。教員の働き方改革としてなら、もっと良い手段があるはずです。

盲目的に「教科担任制良いね」となってしまう現状が少しでもよくなればと思います。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?