学校では、英語は学べない。
哲学者の山本哲士は、冗談半分(いや、クソ真面目)にこう質問する。
①あなたは学校で何年間英語を学びましたか?
②では、あなたは英語を話すことができますか?
学校で英語を学んだから、英語が話せるようになったという人はこの世に存在しない。
まず、冒頭の質問に答えるとすれば、多くの人は少なくとも3〜6年以上くらいは学校で英語を教え込まれているだろう。
しかし、「英語を話すことができるか」と問われると自信をもって回答できる者は、1%にも(余裕で)満たないはずである。
なぜそのようなことが起こるのか。
それは、学校による教育で英語を話せるようになった人などこの世に存在しないからである。
山本の研究対象でもある(お馴染みの)イヴァンイリッチは、言語の学習についてこのように述べている。
普通の子供は彼らの国語を偶然に学ぶのである-両親が彼らに注意していればより早くなるであろうが。外国語を上手に学習する人々のほとんどは、ふとした事情がもとでそうするのであり、連続して教えられたことの結果ではない。たとえば彼らは外国にいる祖父母の家に行って生活をしたとか、外国旅行をしたとか、あるいは外国人と恋に陥ったとかしてその言語を学んでいるのである。読み方が上手なのもまた、たいていは以上のように学校の正規のカリキュラム以外の活動をした結果なのである。
(『脱学校の社会』p.33)
イリッチは、学習のほとんどは学校以外で身につけるのだということをしつこく強調する。
そして、冷静になって考えればすぐわかることだとも言っている。
もし、あなたが英語を話すことができる人ならば、その知識の一体何%が学校で得た知識だっただろうか?
学校はその一助になっているのかもしれない。しかし、結局は自分で調べたり、学んだりしている時間の方が圧倒的に長く「学校のおかげで英語を話せるようになった」などということは決してないことがすぐにわかるだろう。
もし、学んだ知識の半分以上を学校で得たという人がいるとすれば、イリッチに言わせれば、その人は「馬鹿」なのである。
イリッチも、冗談半分にこのような言い方をしている。
「あなたは、学校に行くほど頭が悪いのか?」
結局、私たちは学校でほぼ学んでいないに等しいほど、学校以外の場面で知識を得ている。
そして、言語の学習について特にそうなのである。
私も英語を話せると言っても、ギリギリ大丈夫か大丈夫じゃないかという程度の英語力を有しているが、
それは、私がニュージーランドで1年間「生活」をしたからであり、学校の教育を受けたからではない。
そして、日本で暮らす現在は、世界のニュースを確認する程度でしか英語を使うことがないし、それで困らないのだから、
特に英語を学習しなければならないような切羽詰まった状態に置かれていない。
英語だけではもちろんない。
そもそも言語とは、教育されるようなものではない。
生活の中で自然と学習するものだと、少なくとも私は思う。
だから、学校で英語(言語)は学べないというタイトルをこの記事につけたのはそのような理由である。
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