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サラバ大阪

改札を通る直前に電車がホームから離れるのを見送った。駅前から走っていれば乗れただろうに。今日は心にも時間にも余裕があるから、次でいいやと思う。大して急いでもいないのに、電車が来たからって焦って電車に飛び乗った後の虚無感を知っている。今待つか、行った先で待つかの違いだけだ。自分で「次の便で行く」という選択をした優越感に浸る。



そうやって入用でもない金を銀行から引き出していたせいで電車に乗り遅れた事実をひたすら正当化している。




そんなふうに時間にも心にも余裕があって自分で選択して優越感に浸る日々を過ごし続けられればいいものの、そうはならないのが世の常だ。
来月からの異動を唐突に上司に告げられた自分に選択権も優越感も大阪暮らしを楽しむ猶予も存在しない。単に異動するという絶対的な事実が横たわっているだけだ。サラリーマンにとって、会社の言うことは絶対だ。会社は神に等しい。企業勤めというのはなんだか宗教じみていると思う。

日本は古来から八百万の神様を信仰する国だから、三井様でも三菱様でも新興ベンチャー様でも、どこの企業を神と崇めたって構わない。しかし神に背けば社会的な立ち位置を失うのも相変わらずだ。

20代半ばの人間が、深い理由もなく、ただなんとなく会社が嫌だと言って無職にでもなれば、カードは作れず、隣人からは白い眼で見られ、友人からは怠惰のレッテルを貼られ、次の仕事場も見つけづらく、減っていく貯金に肝を冷やすのが関の山だ。

今更他人の眼なんて気にすることもないから、その気になればいつでも仕事なんて辞めてやる!という気概は完成している。

けどやっぱり貯金が減るのは嫌だし、「いつでも辞めますけど?」という反逆の心を持ってみると、日々の業務をのらりくらりとやり過ごすのもそこそこ上手くなってくる。そうなると、まあ別に今すぐ辞めなくてもいいなって思う。

異動がそろそろあるかもしれないというのもある程度覚悟していたし、実際のところ辞令に対して不安も不満もそこまでない。

結局は無茶なスケジュールで500km先の街にしがない会社員を吹っ飛ばす会社の横柄に一言物申したいだけだ。1回でいいから「ウザイ!」「バーカ!」「このハゲー!」みたいな語彙力のかけらもない幼稚な文句を言ってやりたい。そういう気分。


にしても、まだ大阪にいたかったな。
城崎の温泉街に泊まって志賀直哉の「城の崎にて」を読むっていう野望も叶えてない。
高野山も登れてない。
瑠璃光院も金閣寺も伊根の舟屋も三田のアウトレットも行けてない。
門真のコストコが完成したらコストコパーティーしようねっていう友達との約束も当面果たせそうにない。
お客さんのお店にも顔を出せてない。
御堂筋線を自転車で走破することもできてない。
岸和田のだんじりもいけなかった。
京セラ美術館のルーブル展も行けてない。
入金済みのライブもきっとほとんどいけない。
須磨の海沿いのカフェでモーニングを食べる野望も叶ってない。
まだ行けていない美味しそうなお店もたくさんある。中崎町のパスタ専門店も、梅田の洋食屋も、八尾のネタが分厚い寿司屋も、天満橋の安い定食屋も、南森町のカレー屋も、残りわずかな時間で一回くらい行ける時間はあるかな。

徳島の美術館もこの夏に車借りて誰かと行きたいと思ってたけど、どうにかならないかな。
天神祭も仕事終わりに覗きたかったけど間に合わないかもな。

こうやって考えるとまだまだできることたくさんあったな。この2年で色々行ったけど、切り開く余地はまだまだあったな。それだけやっぱり関西っていいところだ。悔しい。
でもそれだけやり残したことがあるからまた来る動機になる。飽きるほどいてしまうよりよかった。新しい場所に行ったら行ったで、そっちでも絶対面白いものってたくさんあるし。まあ、いいんじゃなかろうか。

大阪の混じり気ないストレートさに当てられて思考が雑にポジティブになった。気がする。適当な前向きさを新しい環境でも持ち続けていたい。

サラバ大阪、どうか元気で🙋‍♂️


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